013回 行く年来る年(2005.1.1)

大越 章子

 

画・松本 令子

日常と非日常の間にあるもの

行く年来る年

 1月1日午前零時の時報は不思議だ。午前零時を知らせるいつもの時報と同じなのに、その瞬間“年”のページが1枚さあっとめくられる。時の流れに境はないけれど、12月30日午後11時59分と1月1日午前零時の間には意識的に大きな境界があって、境界線をぴょんと跳び越えたことが実感できる。
  年が変わる時報はだいたい年越しそばを食べ終えたこたつで、NHKの「行く年来る年」を見ながら聞く。「おめでとう」のあいさつを家族で交わし、“前の年”のものになった御札とお守りを持って、歩いて5分ほどの沢村神社へ初詣に出かける。それから目覚ましを午前6時にセットしてベッドに入る。 
  午前6時。けたたましく目覚ましが鳴る。少しの間ベッドのなかでうだうだした後、家族を起こし、水筒に熱い紅茶を入れて、車のエンジンをかける。初詣に行って寝不足の飼い犬るんるんも乗せて、新舞子海岸に向かう。車から空を眺め、今年の日の出を占ったりする。 

 車で10分ほどの新舞子海岸は一番身近な海だ。“泳いではいけない海”と教えられていたから、砂遊びをしたり、足を浸したりするだけの眺める海だが、MY SEAと思う。写 生大会でスケッチしていて絵の具を波にさらわれたり、中学の友人たちと自転車で遊びに来たり、学生時代には仲間たちと夜の砂浜に座って、上半身がおばあさんで下半身が馬の「馬ばっぱ」の話で盛り上がった。 

 海岸道路を脇道にそれて少し入ると、ヒュッテYOSHODAがある。中学生のころから訪れている店で、いまも時々立ち寄って窓際の席で森林浴をする。のんびり非日常に浸りたい時には3時のお茶がいい。ブランデーの入った吉田家の紅茶と、アイスクリームのグラタンを注文する。 
  お昼の山を越えたその空間はとても静かで、ぼーっとしているとそれだけで時間が過ぎてしまい、大時計のぼーんという音で過ぎた時間に気づくこともある。四季、お天気を問わず心地いい。そうしてお気に入りの小道を歩きながら、日常に戻る。
  日の出の帰りにも寄りたいところなのだけれど、朝早すぎてそれは無理。だから自分でいれた紅茶の入った水筒をいつも持参する。今年もいい年でありますように。

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