143回 ハイジのものがたり(2019.7.15)

大越 章子

 

画・松本 令子

来たことがあるように思うアルムの山と草原

ハイジのものがたり

 このところ、ヨハンナ・シュピリの『ハイジ』を読んでいた。ずいぶん前にスイスを旅した際、バッグのポケットに入れていた文庫本で、Eテレの「100分de名著」で取りあげられたのをきっかけに、久しぶりに開いた。 
 世代的に、ハイジの物語は1974年に「カルピスまんが劇場」で放映された、高畑勲さん演出のテレビアニメーションを見て、そのあと児童書を読んだ。アニメの印象は強く、「ハイジ」というとあの顔と声、屋根裏の干し草のベッド、とろけるチーズ、アルムの山のお花畑などが浮かんでくる。
 ただ児童書を読んで、テレビアニメと本(原作)では違うところがたくさんあることに気づいた。なかでも、ヤギ飼いのペーターはイメージがずいぶん異なり、アニメであんなに素朴で明るく、やさしい少年が、本では単純で鈍く、ユーモラスに描かれている。
 終盤、クララの車いすが壊れてしまう場面も、アニメでは気持ちが揺らぐクララが自らはずみでしてしまうが、本ではクララに嫉妬したペーターが崖から落とした。「100分de名著」でもやはり、その辺りのことが詳しく説明された。

 『ハイジ』を持って出かけたスイスの旅では、数時間だったけれど、物語の舞台になったマイエンフェルトを訪ね、ハイジの村やハイジハウスなどを巡った。「5月の原っぱ」という意味のスイス東端のちいさな村。白ワインの隠れた産地で、草原とブドウ畑が広がり、オーストリア国境にそびえるアルプスの山々が見下ろしている。
 まずはハイジの泉に行って「やっと来ました」と、子ヤギと泉をのぞき込むハイジにあいさつした。周りには白樺の林と草原が広がっていた。少し戻って道を上っていくと、そのうちハイジホフ(ホテルとレストラン)が現れ、さらに進むとハイジハウスに着く。
 古い農家屋で、台所や干し草のベッドのあるハイジの部屋などが再現されていて、物語のさまざまな場面 を思い出す。裏にはヤギが飼われていて、ユキちゃんに似たヤギを探した。ハイジハウスの周辺は、デルフリ村のモデルになった村だという。 
 そこからおじいさんの山小屋までは標高差が600mあって、往復するのに4時間ほどかかり、残念ながら断念せざるを得なかった。青く高い空、草原を吹く風、ゆっくり流れる時間、緑色に包まれた村ノまさしくハイジの世界だった。
 マイエンフェルトの駅方面に下りながら、水を飲むハイジの姿を想像する広場の泉や建物の壁に描かれた絵や紋章、石の塔などを眺め、ハイジのふるさとをあとにした。

 ヨハンナ・シュピリはスイスで生まれ育った作家で、44歳の時、知人の牧師に「寄付のために物語を書いてほしい」と頼まれ、初めて物語を書いた。ハイジの物語は2部構成で、53歳の時に『ハイジの修業時代と遍歴時代』、翌年に続編の『ハイジは習ったことを役立てることができる』を出版した。
 体の弱かった息子のために、マイエンフェルト近郊のラガート温泉などに付き添って療養させ、その時、マイエンフェルトに続く小道を歩いて、ハイジの構想を練ったという。フランクフルトでのハイジのこころの苦しみは、息子の出産を機に一時ひどいうつ状態に陥った体験を投影している。
 ところで、本ではハイジがフランクフルトに行くまでがかなり短くまとめられているが、アニメは全体(52話)の3分の1以上を占めている。アルムの山での時間や季節による自然の移り変わり、日々の暮らし、ハイジたちの気持ちなどが丁寧に具体的に描かれていた。
 だからこそ現地に立った時の感覚と、テレビアニメの映像の印象は違和感がなく、前にも来たことがあるような、知っている場所のような感じがした。それが高畑さんのねらい通 りでもあったことを、旅をした数年後にインタビュー記事を読んで知った。

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。