454号 2022年1月31日 |

権力に翻弄される弱い人たちに眼差しを向け続けた
記者は会いたい人に会い、行きたい場所に行くことができる。その代わり、会いたくない人に会い、行きたくない場所にも行かなくてはならない。読者の付託を受けている記者はその付託を自分の裁量で左右できず、時には最も親しい取材先を敵に回す。 |
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ジャーナリストの外岡秀俊さんが昨年12月23日、突然亡くなった。68歳だった。朝日新聞記者として34年、フリージャーナリストとして10年半、世界の現場に立ち続けた。湾岸戦争、阪神・淡路大震災、コソボ紛争、東日本大震災…。2006年(平成18)から1年半、編集局長(ゼネラルエディター)という役職に就いたが、決して肩書きで仕事をしようとはしなかった。人と会う手間を惜しまず、穏やかに飄々と取材した。そこには朝日新聞記者としての権威や驕りなどまったくなく、いつも弱者と向き合う自然体の記者であろうとした。権力の中心に向かうのではなく、権力とは最も遠いところで、権力に翻弄される人々に眼差しを向け続けた。
外岡さんがライフワークとして心に刻んでいたのは「震災」「世界における紛争」「ジャーナリズム(報道の立ち位置、あり方)」だった。特にメディア不信が渦巻くなか、「外に厳しく内に甘い」という報道各社の体質を指摘し、たびたび苦言を呈した。それは、「記者はだれを向いて、だれのために取材をしているのか」という問いかけでもあった。
社会の木鐸とも言われるジャーナリズムの存在意義は、弱者の目で社会を見て権力を監視する、という面が大きい。にもかかわらず権力にすり寄り、報道さえも忖度してしまう。しかも自分のことになると、説明が十分でないまま幕を引こうとする。日ごろ、厳しく説明責任を求めている立場として、それが許されるのだろうか―。
外岡さんは、朝日新聞社員が元東京高検検事長と賭け麻雀をしていた問題などで、会社の対応を厳しく批判した。そして読者の信頼をつなぎ止める道は「妥協のない検証と報告、さらに記者同士が徹底して本音の議論をするしかない」と書いた。組織防衛を優先したために明らかになった、数々の不祥事。にもかかわらず根本から体質を変えることができない古巣への、温かい叱咤激励だった。
インターネットの普及によって、新聞そのものだけでなくジャーナリズムも揺らぎ始めている。評論家の立花隆さんはジャーナリストの条件として①取材力(対人関係形成力、信頼される人柄)②筆力(説得力)③眼力(広く深く遠くを見る力、裏側を読む力)④バランス感覚、を上げている。外岡さんはそれを紹介しながら、「ジャーナリズムとは、あくまで個々の人間にしか宿らない。頭で考える主義や主張ではなく、先鋭な問題意識、批判精神を支える一種の技芸の集成だと思う」と結論づけている。
組織のなかで常に注目されながらも、叩かれ、揉まれ、洗われ、磨かれて記者として輝きを放つようになった外岡さんの言葉だけに、説得力がある。こういう時代だからこそ、まだまだ生きていてもらいたかった。
特集 ジャーナリスト 外岡秀俊の眼 |
ジャーナリストの外岡秀俊さんが昨年12月23日、急逝した。68歳だった。中原清一郎という作家名を持ち、さまざまな小説を書いた外岡さんだったが、記者としての思いは強かった。つねに「一記者」であろうとした外岡さんの歩み、信念を紹介する。
記者として
疋田記者との出会い
「新聞と戦争」のこと
震災取材、その死
外岡秀俊さんのこと
疋田桂一郎記者のこと
作家・中原清一郎のこと

記事 |
大須賀筠軒とその時代
近代いわきを代表する文化人、大須賀?軒の生涯を筠軒自身や家族、交流のあった文人・画人たちの書簡や書画、著作などで紹介する「大須賀筠軒とその時代」が2月15日まで、いわき市勿来関文学歴史館で開かれている。漢学者で詩人、教育者、芸術家、郷土史家、実業家でもあった筠軒。企画展の展示などから人生をたどる。
生い立ち
大須賀家に婿入り
充実した日々
晩年
神林復所のはなし

若松丈太郎さんのすべてが3冊に
全詩集、評論などの著作集を2月刊行

『歳月からの伝言2』
小宅幸一さんによる第2巻
「か行」街道、花街、感染症など

連載 |
時空さんぽ 再び 〜磐城平城を訪ねて(20)
其の十八 大手門
阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(51)ウミトラノオ
ひとりぼっちのあいつ(31) 新妻 和之
ドクサを吟味する
コラム |
月刊Chronicle 安竜 昌弘
言葉のつぶて
マスコミと教育だけは間違った道に進んではいけない