207号 アンダスンと猫(2011.10.15)

画・黒田 征太郎

小さな町の新聞社のはなし

 アンダスンと猫

 アメリカの作家、シャーウッド・アンダスンのことを知ったのは、福島市出身の詩人・長田弘さんの『散歩する精神』(岩波書店)でだった。そのなかに「アンダスンと猫」という散文が収められていて、その空気感がとても気に入っている。
 アンダスンは1927年(昭和2年)、北アメリカにあるヴァージニア州スミス郡マリオンという小さな町の新聞社を買い取る。51歳の時で、すでに代表作の『ワインズバーグ・オハイオ』を発表して名前を知られていた。80年以上も前の話だ。
 そのころアンダスンに何があったのかはわからない。ひっそりとマリオンにやって来て、社主兼編集者になった。実はこの新聞社、民主党系と共和党系、2つの新聞(8ページ)を週に1回ずつ出していて、どちらの編集にも携わっていた。
 アンダスンのコラムは温かく、ユーモアに溢れている。
「ありふれてみえる町の日々の1つ1つには、人がそこで生きている無言の物語が籠められている。語られることのないそれらの物語を語ることができなければならない」
 そんなことを思いながら町を歩いて記事を書き、2つの新聞をつくり続けた。実に興味深い。
「アンダスンと猫」を読んだ数年後、草野心平記念文学館で長田さんと会った。そのとき「あれはアメリカまで取材に行って書かれたのですか」と尋ねると、「実は違うんですよ。本を参考にしました。みんな取材したって思うみたいですね」と苦笑いしながら教えてくれた。そして、独特な字でサインをしてくれた。
 調べてみると、日本語に訳されていて手に入るアンダスン作品は『ワインズバーグ・オハイオ』と『アンダスン短編集』だけ。新聞社時代に書いた記事は『ハロー・タウンズ』(こんにちは町よ)として本になっているが、あいにく日本語訳版がない。長田さんが参考にした『シャーウッド・アンダスン回想録』など3冊も原語でしか読めない。何とも残念だ。
 褐色の瞳をしたアンダスンは1941年(昭和16年)3月8日、パナマ運河航行中に腹膜炎にかかり、65年の生涯を閉じた。その遺体は18日後、マリオンの墓地に埋葬された。

(安竜 昌弘)

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