346号 倉本聰さん(2017.7.31)

画・黒田 征太郎

小さな人々の生への必死な意志を描く舞台

 倉本聰さん

 いわきで上演された富良野グループの舞台「走る」でのことだ。カーテンコールのなか、作・演出者の倉本聰さんが登場した。「あ、来てたんだ」と思いながら、杖をついてゆっくりと歩を進める姿を見て、感無量になった。
 学生時代はテレビドラマの全盛時代だった。仲のいい友だちがシナリオの勉強をしていたこともあり、その影響を受けてシナリオライターでドラマを見る癖がついた。
 倉本聰、山田太一、市川森一、早坂暁、中島丈博、向田邦子…。作家別のシナリオシリーズが出版され、次から次に買った。
 震災のあと、倉本さんが福島に思いを寄せ、たびたび浜通り地方に足を運んでいることは知っていた。かつて「昨日、悲別で」という炭鉱の閉山をテーマにドラマを書いていたこともあり、原発事故によって多くの人たちがふるさとを失った現実が「悲別の悲劇」とシンクロしたのだという。そして若松丈太郎さんの「神隠しされた街」にふれて衝撃を受け、そこから生まれた怒りが「ノクターン−夜想曲」を書かせることになる。
 いま、テレビ朝日系で放映されている倉本脚本のドラマ「やすらぎの郷」でも、3.11のことがときおり現れる。記号化されてしまった「フクシマ」。このカタカナ表記に福島の人たちが傷ついていることを知った倉本さんは「フクシマ」を封印した。福島に入って失われた風景を目の当たりにし、市井の人々と真摯に語らい続けた。そして深い悲しみを共有し、「理不尽、不条理の中で、それでも懸命に生きようとする、小さな人々の生への必死の意志」を舞台で伝えることにする。
 倉本さんは書いている。
 「本来日本の漢字には風という漢字があふれ返っている。(中略)だが今この国に流れる言葉は風災・風評、そうして風化。こうした言葉だけが流れるのは悲しい」
 あの事故のあと、倉本さんは原発事故をドラマにしようとして奔走した。しかしスポンサーがつかず、断腸の思いで断念せざるを得なかった。だから舞台に対する思いが強いのだという。
 経済と科学がもてはやされ文学が軽視されている時代だからこそ、一隅を照らすような倉本さんの舞台は、深く心の奥底に沁みるのだと思う。

(安竜 昌弘)

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。