

映画「マイ・バック・ページ」を観てきた
涙について |
恥ずかしいのだが…。いつからか、すぐ泣くようになった。なぜかはわからない。涙があふれ出て止まらなくなる。「3.11」以降、その傾向がさらに強くなったように思う。
4日の土曜日、ひたちなかへ映画を観に出かけた。山下敦弘監督の「マイ・バック・ページ」。封切りから1週間が経っていた。
山下さんは好きな監督だが、川本三郎さんの原作に思い入れがあるので、期待が外れてがっかりするのが恐い。でも観なければ始まらない。そんな思いを胸にスクリーンの前に座った。
ラストシーン。妻夫木聡が演じる元週間誌記者が、これでもか、というほど泣く。当然のように自分の目からも涙があふれ出た。予測はできていたので流れるまま放って置いた。でも、その感覚が妙に心地いい。うまく説明はできないのだが、涙そのものが普遍的で、心に寄り添ってくれる。不思議にさっぱりとした気分になった。
東日本大震災の取材で、同じような涙を何回か目の当たりにした。事故当時の状況を淡々と話していた人が、突然泣き始めるのだ。さまざまなことが蘇り、思いがこみ上げてくるのだろう。
そんなときは、ただ黙っているしかない。とはいっても、深刻にもならない。たぶん、根っこに共有できる何かが、あるからなのだと思う。泣き笑いの感覚で、一緒に笑ってしまうこともある。
映画のラストシーンの涙について、川本さんが書いている。
「泣くといっても、通常の感情移入しやすい映画の涙とは少し違うと思う。素直に泣けるというのではなく、突然涙が襲ってくる。甘い涙というより、苦い涙と言えばいいか」(『キネマ旬報』6月号)
「あの事件のあとずっと、挫折と敗北にこだわってきた」という、川本さんの人生を思う。映画の涙は、言葉では言い尽くせないさまざまな思いの象徴なのではないか。それがあふれ、吹き出した。事件当時生まれていなかった山下監督が、それをきちんと映像化してくれた。ラストシーンにすべてが救われたような、そんな気分になって、映画館を出た。
大震災から3カ月が経った。もう3カ月なのか、まだ3カ月なのか、よくわからない。ふわふわした気分が収まらず、原稿を書いていても、しっくりこない。毎日がただ過ぎていくような、そんな感覚が続いている。
たぶんあの涙には、震災を体験した人たちの何ともいえないいまの心持ちと共通する、解り合える何かがあるのだと思う。だから、昔の仲間の前にいるように気を遣わず、格好つけずに泣けるのかもしれない。
(安竜 昌弘)
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