203号 川本三郎さんに会えた(2011.8.15)

画・黒田 征太郎

映画「原子力戦争」の失われてしまった風景

 川本三郎さんに会えた

 評論家の川本三郎さんが、いわきにやってきた。やっと「会いたい」という思いがかなった。湯本駅の改札から出てきた川本さんは、照れくさそうに「初めて会ったような気がしませんね」と言った。想像していた通りの、少年の心を持った人だった。
「川本三郎の文章」をどうしても載せたくて、創刊号の原稿を依頼した。準備号を送り、手紙を書いた。数日後に電話をすると、「新聞届いていますよ。原稿お引き受けします」と快諾してくれた。飛び上がるほど、嬉しかった。8年前のことだ。

 ことしの3月25日、見ず知らずの編集者、篠田里香さんからメールが届いた。震災から2週間が経っていた。メールには「川本先生が心配なさっています。可能でしたら安否をお知らせください」と書かれていた。びっくりして、すぐ川本さんに電話した。すると「ああ安竜さん、無事だったんですね! よかった。被害はなかったんですか」と気遣ってくれた。受話器から「心配していたんですよ」という思いが伝わってきた。本当にありがたかった。

 川本さんは、旅雑誌の取材ということで、軽装だった。9歳年上の67歳だが、世代間ギャップというものを、まったく感じさせない。しかも気も遣わせることがないので、こちらも自然体でいられる。車でいわきを案内しながら、さまざまな話をした。わずか3時間だったが、とても楽しい時間だった。
 話題は、黒木和雄監督、原田芳雄主演の映画「原子力戦争 LOST LOVE」のことになった。
 東北の海辺の町で心中事件がある。男の方は原発の技師。それが発端になり、原発の重大事故を追う新聞記者(佐藤慶)と心中した女のヒモ(原田芳雄)を中心にストーリーが展開される。
 この映画は34年前に、いわきで合宿してロケが行われた。恐れられていた原発事故が起こったうえに、先日、原田芳雄が亡くなり、にわかに注目され、脚光を浴びている。川本さんも最近DVDで見たそうで、「あの、原発の正門前でのやりとりは現実でしょう。まさにドキュメンタリーですよね」と言った。
 川本さんを案内して、常磐から小名浜、中之作、江名、豊間、薄磯と回った。川本さんは「原子力戦争」が公開されたころ、取材で小名浜を訪れたことがあり、「いまどうなっていますか。行ってみたいです」と言う。そこで、津波被害に遭った海岸線を走ることにした。
 川本さんには『日本映画を歩く—ロケ地を訪ねて』という著書がある。わたしも映像と現実の風景を重ね合わせることができる、ロケ地歩きが好きだ。そのせいか映画で使われた中之作や江名の町並みを眺めながら「原子力戦争」のシーンが浮かび、話が弾んだ。

 震災から5カ月が経った。まちは瓦礫が撤去され、被害に遭った家もかなり壊された。表面は復旧が進んでいるようだが、重い空気が漂っている。その根底にあるのは、放射能の影だと思う。あらためて海岸線を走り、失われてしまった風景がいかに大切だったかを痛感する。しかし、日に日に放射能の恐れも薄れ、日常のようなものが戻りつつある。
 あの震災の記憶、原発事故に対する怒りを絶対に忘れてはいけないと思う。被災地での川本さんの沈黙が、それをさりげなく教えてくれた。

(安竜 昌弘)

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