料亭文化を残すには市民の支えが不可欠
まちの格 |
明治からの老舗料亭「谷口楼」の4代目女将、谷口蕁子さんから話を聞く機会があった。80歳代後半だがかくしゃくとしていて、威厳がある。問わず語りにさまざまなエピソードをうかがったあと、「いつも心に紋付きをつけることを心がけてきました」とさりげなく言った。昭和と平成を生き抜いてきた女性の至言だろう。
かつて宴会や接待は料亭か割烹と決まっていた。大広間に膳が用意され、芸者衆の踊りが披露される。三味線や太鼓も入って賑やかだった。
政治家や市の幹部と会うときは必ず個室で、部屋を出るときは別々に出た。女将や仲居さんもよく心得ていて、タクシーの呼び方も絶妙だった。
記者になったのが昭和52(1977)年だから、料亭文化にかげりが見え、芸者衆ではなくコンパニオンの勢いが増してきた時代だった。その後、わけのわからないバブルが来てはじけ、官官接待や料亭での密室政治が批判された。
懇親会の会場も料亭や割烹ではなく、ホテルや結婚式場で開かれることが多くなった。思えば大貞の旧館が壊され、谷口楼が道路拡張のために移転新築を余儀なくされたことも、大きなきっかけだったと思う。
「大人数が入る大広間がないんですよ」「座敷だと足がしびれるという人が多くてね」という事情もあって、丸テーブルによる洋風宴会が主流になった。そうなると手軽に呼べるコンパニオンの方が便利だった。
いまのいわきを思う。「ユニクロ」「しまむら」「わたみ」「イオン」…。全国どこにでもある店が便利に使われている。バブルが崩壊したあと、金融機関への締め付けが厳しくなり、いわきの経済を支えてきた地元企業が軒並み倒産した。その結果、地元資本のデパートがなくなり、伝統的な和菓子屋などが次々と姿を消した。いわきオリジナルともいえるものを探すのが大変になった。
大衆化は決して悪いことではない。でも流れにまかせてだらだらと刹那的に過ごし、良い悪いの判断がつかなくなってしまったら、大事なものなど守れない。何より、まちの個性が失われていくのが寂しい。
大黒屋デパートがなくなったとき、市民は他人事のようだった。しかし少したってデパートがまちの文化だったことを知る。失ってみて初めて、その存在の大きさに気づき、喪失感を味わった。それは、いわきの歴史を見つめ育んできた「谷口楼」も同じだろう。
蕁子さんは祖母や母からの「偏らずに万遍なく」「店でのことは決して外に漏らしてはならない」という教えを胸に刻んで切り盛りしてきたという。「谷口楼」があり続けることが、まちの格なのだと思う。市民が支えなければならない。
(安竜 昌弘)
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