327号 幻の町(2016.10.15)

画・黒田 征太郎

「20世紀少年」と重なっている少年時代の記憶

 幻の町

 突然だった。小学校のクラスメイトから連絡が入った。昭和30年代とほぼ一緒に歩んだ、海辺のまちでの小学校生活。なぜかクラス替えがないまま6年間を過ごし、中学校では隣の小学校と一緒になって混じり合った。存在を覚えてはいる。思い出話も尽きないだろう。でも50年以上会っていないから、戸惑いもあるはずだ。正直、「どうしたものか」と考え込んだ。

 浦沢直樹の「20世紀少年」を読むたびに、自分の小学校時代とオーバーラップする。浦沢さんは昭和35年生まれだから7歳年下なのだが、時代の空気が共通している。下校しようとすると校門近くにうさんくさいおじさんがいて、本などを売りつけたり、通学路には駄菓子屋があったり…。そうした記憶が蓄積され、忘れられない原風景となっているから、それぞれの思い出と共鳴していくのだと思う。
 「20世紀少年」は現代社会とも重なる。素性を明らかにしない「ともだち」というカリスマが登場し、政治の世界さえも支配するようになる。思想も文化も、「ともだち」一色に塗りつぶされ、秘密警察がはびこって漫画にさえ検閲が入る。つくられた異常な熱狂と声を押し殺す国民。でも立ち向かおうとする人たちもいる。その中心的存在が「ともだち」の小学校の同級生たち。でも「ともだち」は転校生で、印象が薄い。本当に「ともだち」はクラスにいたのか。謎は深まり続け、ストーリーは思わぬ方向へと進んでいく。

 年を重ねたせいか、少年時代の江名や中之作、小名浜の風景が突然、立ち上がって来ることが多い。みんな同じらしく、気がついたら昔の話をしていた、ということがたびたびある。津波や原発事故で町そのものの外見も中身も変わってしまった、という悲しい現実も、郷愁に拍車をかけているのだろう。 
 福島市在住の小学校の先輩から「小名浜本町通りにあるパンとケーキの『トウシャ』が閉店するようです。いろいろ思い出があります。昔からの話を聞いていただけないでしょうか」というメールが来た。「トウシャ」は谷口楼の先代女将が出た家で、かつては米穀店を営んでいた。それが戦後になってパン屋を始め、70年もの時を重ねてきた。この店の食パンを愛する人が多いという。
 閉店してから行ってみると奥の家から高木光平さんが出てきた。90歳だという。パン屋は最初、職人さんを雇っていたが、そのうち長男と三男が一緒にやるようになり、最後は三男が切り盛りしていた。朝3時半から起きてのパン作り。「食パンの評判はよかったんだが経営が大変でね。区切りをつけた、ということだろうね」と言葉少なに説明してくれた。「息子さんから直接話を聞きたいのですが」とお願いし連絡してもらったが、「もう終わったことだから」と断られた。
 「190年近く続いてきた釜庄水産がインターネット事業だけを残してすべての店舗を閉じた」という話も、ほぼ同時に入ってきた。平の丸市屋と小名浜の釜庄水産は、いわきを代表する海産物の老舗で、中元や歳暮に使う市民が多い。ところが原発事故による汚染水問題で「常磐もの」というブランドが大打撃を受けた。「地元の港に水揚げされた質のいい海産物を提供する」という両店にとって、大変だったと思う。結局、釜庄水産の場合も、話を聞くことができなかった。
 「トウシャ」と「釜庄水産」の閉店と合わせて「キンダーボックス」の店じまいを聞き、この店が入っている「タウンモールリスポ」の現状も取材した。いま小名浜は海の近くでイオンモールの工事が急ピッチで進められている。そうしたなかで、こだわりを持って店を続けてきた人たちが、自らの手でピリオドを打つケースが目立っている。
 「リスポ」も建物が老朽化し、ボイラーに爆弾を抱えている。「いつボイラーがパンクしてしまうか、ハラハラしているんです。壊れてしまったら営業はできませんから。これからどうするのか、決断を迫られています」と関係者は話す。

 小名浜や江名は路地の町だ。網の目のように入り組んでいる細い道路に、肩を寄せ合うように家が軒を連ねている。そこに網大工がいて、篭屋がいて、長屋や船主の大きな家や魚屋が混ざり合っていた。衣食(職)住が接近していて浜言葉が飛び交い、人情にあふれた日常があった。店には人が集い、高知や岩手、宮城の漁船員たちとの自然な交流が営まれていた。そんな幻の町が、いまでは懐かしい。

(安竜 昌弘)

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