俺が死んでも映画は残る映画に時効はない
若松孝二さん |
いまは亡き若松孝二さんが監督した映画「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」の舞台版が3月9日から、新宿の「SPACE雑遊」で上演される。「若松孝二生誕80年特別企画」と銘打たれていて、若松さんの映画上映やトークも予定されている。事件から45年。あの映画がどんな舞台になるのか、興味深い。
12年前の3月14日だった。春を思わせるような雨が降っていた。若松さんが知り合いに連れられて編集室にやってきた。その日の夜、ポレポレいわきで「実録・連合赤軍」を上映してトークショーを開くことになっていて、あいさつにきたのだった。「話を聞きたいのですが」と水を向けると「どうぞ」と言う。おそるおそる取材が始まった。「若松孝二」という人間そのものにぶつかりたかったので、あえて予備知識は入れなかった。若松さんは面倒くさがらずに自らの生い立ちを話し、「なぜ連合赤軍の映画を撮ったのか」を静かに語り始めた。
あさま山荘での銃撃戦で連合赤軍のメンバーが逮捕されたあと「血の粛清」と呼ばれる残虐なリンチ殺人が公になる。でも若松さんは、若者たちの行為を切って捨てるようなことはせず、冷静に見ようとした。
「声を大きくして、いやなものはいやだと言っていた若者たちが、閉ざされた空間に入り、猜疑心と嫉妬で犯罪を犯した。こういう問題は権力を守ろうとすると、必ず出る。それは日本人が持っている闇だと思う」
それまでに何度か映画化された「連赤もの」。どれ1つとして納得いくものがなくて、もやもやが募っていた若松さんは「自分で撮るしかない」と決意する。オーディションを行い、「もし自分が赤軍の1人だったらどうする」と、それぞれに問いかける。そして「あのなかでどういう会話があって何が行われていたのか。事実にこだわりたい」と強く思うことになる。フィルムは5時間にも及び、うち粛正のシーンが3時間。おそらく若松さんは撮影を通して若者たちの行動を再現し、魂で本質をつかみたかったのだろう。最終的には半分にカットされた。
「若者たちには自分たちのために自分の国のことを考えてほしい。オブラートに包んで隠そうとするものの本質をつかみとってほしい。飼い慣らされてはいけない」と言っていた若松さん。あの映画では「臭いものに蓋をしてはいけない。現実から目をそむけず直視しろ」と言いたかったのかも知れない。
2012年の秋、新宿を歩いていた若松さんはタクシーにはねられ、帰らぬ人となった。編集室で会ってから3年半後の、あっけない死だった。闇の正体を追い続けた75年の生涯。その公式ホームページには「俺が死んでも映画は残る。映画に時効はない」と刻まれている。
(安竜 昌弘)
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