まず原稿を書き読んで聞かせ本番では堂々と語る
あいさつの心得 |
先月の26日に母を亡くし、喪主として会葬御礼のあいさつをした。バタバタと慌ただしい中、朝早く起きて原稿を書いたのだが、本番で何回も噛んでしまい、締まらないあいさつになった。自己嫌悪に陥り、後悔が募った。
新聞記者をしているせいか、講演やあいさつを頼まれることが多い。最初のうちは「書くのが商売なのでしゃべる方はちょっと…」と断っていたのだが、震災後はそうもいかなくなった。被災地で新聞を出しているからには、いま何が起こっていて何が問題なのかを知らせなければ、と思ったからだ。記事を書くだけではなく、積極的に講演をし、取材も受けた。
そこでわかったのは、人前で話すことが苦手、ということだった。必要以上に緊張して思っていることの半分も言えない。話の筋をメモにして用意しても、大事な部分が抜けてしまう。「では」と丸暗記したら、つっかえた途端に絶句した。少し慣れてきたので甘い考えで臨んだら、時間が余ってしまい、質問タイムに切り替えたのだが質問がまったく出ずに沈黙、ということもあった。
「言いたいことを時間通りに過不足なく伝えるには、どうしたらいいのか」—。そんな思いにさいなまれるときには、丸谷才一さんの「挨拶シリーズ」を紐解く。『挨拶はむづかしい』『挨拶はたいへんだ』『あいさつは一仕事』『別れの挨拶』と4冊ある。基本は丸谷さんがした乾杯の辞、弔辞、祝い事などでのスピーチ集で、そこには丸谷さんの哲学や温かさがいっぱい詰まっている。
丸谷流あいさつの極意は準備。原稿を書いてそれを読み、近い人に聞かせながら時間を計って、感想を聞く。丸谷さんはそれを怠らなかった。でも世間には「原稿があると滑稽だ」とか「スマートじゃない」と言う人がいる。
これに対しては「準備がなくて行き当たりばったりでやるから『あれを言わなきゃ、これも』と考えながらしゃべってしまい、どんどん長くなっていく。長いのはだめ」と反論する。
「挨拶シリーズ」を読むと、「頭の中で準備するより書くほうが簡単。普段書くことに慣れているせいもあるのでしょうが…」という丸谷さんの言葉にわが意を得、納得する。だから原稿を書いてそれを語るように読み、間違ったとしても、堂々と自信を持って間違えばいい、と思うようになった。
働き通しだった母は86歳で逝った。ラストソングには映画「ある日どこかで」のテーマソングに使われた、ラフマニノフの「ラプソディー」を選んだ。遺影が穏やかに微笑んでいた。
(安竜 昌弘)
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