358号 ノンフィクション(2018.1.31)

画・黒田 征太郎

まず企画力次に構成力そして取材力最後に文章力

 ノンフィクション

 新聞記者になったばかりのころは、ただ夢中で仕事をこなしていた。警察署回り、スポーツ取材、催し記事…。そうした取材に追いまくられる日々が続くうちに少しは仕事にも慣れ、一般記事だけではもの足りなくなった。
 そうして取り組むようになったのが連載や特集だった。発表を中心とした横並びの記事に疑問を感じることが多くなり、一般記事としては取り上げられることがない取材メモを生かしたいと思い始めた。ディテールを積み上げて記事を立体化すれば、薄ぼんやりとしていた背景が見えてくる。それを読む人たちに提示したい、という思いが強くなった。その延長線上にあったのが、ノンフィクションだった。
 手元に『私の文章修業』がある。そのなかでノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが立原道造の十四行詩にふれている。道造はスケッチ・ブックに詩を書いていたのだが、デッサンをするように書いては消していた。さらに積木で遊ぶ少年のように言葉や行を置き換えたりしていた。「やがてその詩は直線的な力強さを喪っていくが、言葉と言葉が響き合い、独特のリズムが生まれ、不思議な雰囲気がかもし出され、そこに壊れそうではあってもひとつの確かな世界が存在することになる…」と沢木さんは書く。
 これを読んだときに「草野天平と同じだ」と思った。自分のなかにあるイメージを表現するために浮かんだ言葉やセンテンスをノートに書き、配置を換えながら詩として定着させていく。さらに時間をおいても耐えられるものだけを残す。天平は、そんなふうに詩を書いていた。
 沢木さんは道造の手法を自分に置き換え、1枚の紙に章立てや印象深い言葉、重要な数字、固有名詞を書き出して全体像を形づくっていったという。ノンフィクションと詩の違いはあるが、全体と部分の配置を考え、試行錯誤を繰り返しながら構成を詰めていくという点で、同じだと思う。
 ノンフィクションを書くのに不可欠なのは①企画力②構成力③取材力④文章力、だという。その原稿が時間に耐えて普遍的なものとして残っていくために必要なことは、真実をきちんと映し出しているか、書き手がきちんと対象と向き合い、優しい眼差しがあるか、なのだと思う。 

(安竜 昌弘)

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