祈りと新しい時の到来を告げる
鐘の音 |
小山実稚恵さんの小さなコンサートが10月中旬、アリオスの大リハーサル室で開かれた。
ガラス越しの、灯りがともるまちの風景をバックに、小山さんは二台のスタインウェイでショパンのポロネーズやラフマニノフなど七曲を演奏した。
スタインウェイはどちらも、アリオスのオープン時に小山さんが選んだ。1台はハンブルグ製で、自分の音色・意志を持ち、色彩 が豊か。もう1台はニューヨーク製の明るくほどよい音色のピアノ。それぞれ個性は違うが、情が深く、弾き手の思いに呼応して奏でる。
震災が起きた時、小山さんは東京都交響楽団との演奏旅行の途中で、函館のホールで練習を始めていた。演奏会場は夕方から避難所になり、コンサートは中止。港に近いホテルで80センチほどの津波を目の当たりにし、夕食はろうそくのあかりで取った。
小山さんは仙台で生まれ、3歳から中学2年生まで盛岡で育った。東北への思いは強く、震災後、被災地を訪ね、音楽を届けている。釜石の小学校では、最後に子どもたちがぐるっとピアノを囲み、小山さんの伴奏で「となりのトトロ」の「さんぽ」を合唱したという。
小山さんはいわきのことも気になっていた。 あの日、アリオスの2台のスタインウェイは大ホールのステージの上で保守・点検を受けていた。長く強い揺れにもかかわらず、ステージにはほこりが降ってきただけで、スタインウェイは無傷だった。揺れが収まった後、スタッフがピアノ庫にしまい、そのままずっと眠りについていた。
小山さんのコンサートの3日前に掃除をして、7カ月の眠りからスタインウェイを覚まそうとしたが、簡単には起きなかった。育ての親の小山さんの訪問で、眠い目をこすりながらようやく起きた。
コンサートの終盤、小山さんはラフマニノフの前奏曲嬰ハ短調「鐘」を演奏した。浅田真央さんのスケーティングミュージックでも知られている曲。モスクワ音楽院を卒業した19歳のラフマニノフがクレムリン宮殿の鐘の音にインスピレーションを受けて作った。翌年、ロシア革命が起き、ラフマニノフはアメリカに亡命した。
そしてコンサートの締めくくりはリストの「ラ・カンパネラ」。イタリアの小ぶりの鐘の変奏曲で、連打やトリルが多く、跳躍が激しい。鐘をイメージしたこの2曲に、小山さんの思いが込められている。祈りと新しい時の到来。そこにいた1人1人のこころに鐘の音は響いた。
鎮魂と祈り、そして希望。静かに目を閉じて耳をすますと、その鐘の音がこころの奥から今も聞こえてくる。この鐘の音は小山さんからの贈りもの。
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