共立病院もそうですが、常磐病院も耐震性の問題があり、耐久年数的にも何年か後には建て替えをしなければなりません。財政の苦しい市が担うのは大変で、建て替えの時期には一市一病院一施設にせざるを得ないと思っていました。
それでも10月下旬に、再来年3月で常磐病院がなくなるという説明を受けた時には、急展開で驚きました。患者さんたちはまだ先のことと思っているようですが、なかには不安を訴える方たちもいるので、「その時には紹介状を書きます」などと説明しています。
わたしは小名浜で生まれ、中学3年生の1学期まで過ごしました。歯科医だった母の親類に医者は多いのですが、あまり考えないで福島県立医科大学に入学しました。入学後、早いうちから外科医になろうと思いました。
初期研修で常磐病院に来て、最初の2年は内科をやりました。内科ではどういう考えで外科に送るのかを知りたかったのです。昭和51年、あのころ常磐病院は医師が8人ぐらい。和気あいあいの雰囲気でした。
外で勉強して来て、何か新しいものを病院に持って帰って来るという考えが、初代の竹内正也院長の時代からあって、がんセンターや癌研、専門病院、それに大学などに通い、内地留学して学びました。学会ものびのびと行けました。
そういうことをしないと医者は集まりませんし、病院もよくなりません。内視鏡手術が好きで、当時、東北大学の医局でも重宝がられました。胆石を内視鏡で取る手術も県下でもかなり早くからしていましたし、消化器科はいわきでも引っぱっていました。麻酔科標榜医の資格も取りました。
患者さんの信頼を得るためには共立病院の医者が二度回診するなら、3度、看護師の準夜勤の交代の時にも回診しました。そうやらないと、信頼は得られません。常磐病院で親の手術もしました。「人様の手術をするなら、わたしのも」と言われて。家族を診るように患者さんを診ないと、と思いました。
竹内院長は常磐病院を総合病院にしたかったのですが、ならずじまいでした。わたしは「常磐病院はいわきの南を担う病院」と、ずいぶん前から言ってきました。「だから、もっと救急をしっかりやろう」と。
いわきは人口密度が分散しています。南には呉羽病院がありますが、ある程度、受け皿が分散していないと、夜の救急医療が困ってしまいます。そのことは病院の新聞に書きましたし、市の助役にも伝えました。
共立病院が三次救急で成り立つためには、二次救急がしっかりしないとできません。すべて共立に行ってしまえば機能しなくなります。夜でも人間が活動している時間帯に救急患者は多いのです。
そのため、平成9年から午後9時まで放射線技師を在中させ、救急医療をシステム化させました。すると、救急の年間の受け入れ数は300から1000件に増えました。いわきの救急の1割になります。
わたしは夜遅くまで仕事をし、当直もして、みんなと同じ苦労をするようにしています。ですから、だれも不平を言いません。
市は平成7年に一市一病院の構想をまとめました。それ以来、常磐病院での医者の確保は難しくなりました。大学に出かけても「いつ共立病院と一緒になるの?」と聞かれました。さらに10年後、一市一病院二施設が打ち出されてからは、どんどん医者が辞めて行きました。医者の給料についても「中央と地方ではものすごい格差がある」と、ずいぶん前から市には言っていましたが、そのころはまだ、共立病院に医者が来ていました。
10年ほど前まで、常磐病院に医者は25人ぐらいいましたが、いまは11人です。常磐病院がなくなる説明を受けた後、医者1人1人にお願いをしました。「ほかの病院からどんなアプローチがあろうと、再来年3月までは一緒に行動してほしい。最後まで頑張ろう」と。医者があと2人減れば、当直も閉めざるを得なくなります。医者たちは「最後まで見届けるよ」と言ってくれました。その辺はほっとしています。
いわきは東京からも、仙台からも福島からも2時間かかり、過疎地です。新たに勤務を期待できる医者は60歳以上と結婚前で自分の生活を度外視できる若い人、それともよほど奇特な人です。患者のために頑張ろうと思って来た医者のボランティア精神に甘えてしまうと、長くは続きません。医者を確保するには民間並みに給料を上げなければなりません。
昨年4月、いわきの市立病院は一市一病院二施設になりました。診療局長だったころから「1つの病院にするなら、共立と常磐を同じ名前にしてほしい」とお願いしていました。医者が共立から常磐に回されても、よその病院に来た感じになるからです。しかし、いつの間にか共立が本院、常磐が分院になっていました。
一市一病院になっても、医者の交流はまったくありません。手術の応援を頼んでもなかなか動いてくれず、民間から医者を借りています。わたしが研修医で常磐病院に来たころは小児科がなくて、共立から午後、医者が来てくれていました。脳外科の医者が、撮った写真を見にも来てくれました。
共立病院には外科医が10人ほどいて、専任の麻酔科医もいます。全身麻酔での年間の手術は600人ほどです。常磐病院の外科医はわたしだけで、麻酔も自分でかけますが、年間150人を手術しています。
病院事業管理者が決まってからも医者の交流の話をしましたが、まったく反応はありませんでした。共立病院の手術台数は決まっていて、手術を何カ月も待たせている患者がいます。1つの病院なのだから臨機応変、有機的なつながりがあっていいはずです。
それはトップに立つ人の気持ち、考え方次第で、「いわきの医療を何とかしなくてはいけない」という気持ちがあれば、助っ人を出すことはできるのです。名ばかりの一市一病院二施設です。
病院の事務職員はやっと覚えたころ、3年ぐらいで変わります。だから病院経営のプロになりきれていません。事務にそういうプロがいないと難しいし、そういう人たちがしっかり病院経営を見つめていればやれると思いますし、やれるはずです。
病院局をもっとちゃんと市が支えていかなければならないと思います。2つの病院を1つの部局でまとめているので、自由にやれる受け皿があるのですから、本当は臨機応変なことができます。事務局が現場を歩いて、医者などとひざをつき合わせて、パイプ役になるべきです。それなのに、病院のことがさっぱりわからないから動けません。
企業年鑑に載っていますけれど、常磐病院は医師1人当たり1日47万円の働きがあります。共立は27万円、黒字の病院は36万円です。常磐病院は少ない医者で歯を食いしばって頑張っています。
しかし医者の数が減って、病床数を減らしても、スタッフの数はそのままなので、赤字は当たり前です。人事がスムーズにいかないと人件費は膨らみますが、スタッフの数は減らせません。それでは、どうすべきなのか。その役目を担うのが病院局なのです。
共立病院には毎年、新人の看護師が入っていますが、常磐病院はこの6年間ゼロです。新陳代謝があって、新人から60歳まで年齢構成の秩序が保たれているのが理想です。共立も常磐も畠山靖夫、竹内院長時代に、看護師を多く採用しました。常磐病院はその方たちの定年がやっと落ち着いてきました。5億円分の赤字はそれです。
民間病院が黒字なのは人件費を抑制しているからです。無駄を削るだけでは、黒字にはなりません。看護師など初任給は公立より金額をよくして、それからはあまり上げない。だから看護師は5、6年で辞める。
でもそんなことをしていたら、看護師もほかのコメディカルのスタッフもいなくなってしまいます。それこそ、医療崩壊です。国の低医療費政策によって、医療の担い手がいなくなってしまいます。介護現場がもうそうなっています。
これからますます必要になるのに、国は医療費を絞っています。人件費は毎年上がりますが、医療費は3%ダウンです。このままいけば大きな間違いになります。
「常磐病院にいまいる医師が、再来年四月からできるだけ共立病院に移るようにしてほしい」と市から言われましたが「努力はしますが、確約はできない」と答えました。
再来年、共立病院だけになっても赤字が出て、机上で作成した市立病院の改革プラン通りにいかなかった場合、常磐病院から予定していた医師が来なかったからと、理由にしてほしくないです。
移譲された民間の医療法人は医者をどうするのでしょう。市内の病院からの引き抜きも考えられ、すごい混乱が起きるかもしれません。
わたしはみんなの行き先が決まってから、自分の方針を決めます。
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