父は中之作で医院を開業する外科医。軍医として戦争にも行った。外科が専門とはいっても町医者だから、どんな患者でも診た。もちろん患者の要請に応じて夜でも往診したし、診療所を開けた。
そうした環境で育ったせいか、兄弟4人のうち3人が医者、1人が歯医者になった。自分は長男だったので、何の疑問も持たずに医者をめざした。父は勉強に対しても厳しく、夕食が終わると、兄弟全員が机を並べて、勉強をさせられた。
大学は浪人の末、慶応大の医学部に入った。大学病院や関連病院で勤務医をし、地元に戻って父を手伝った。小さな港町の診療所。顔なじみの人たちが、自分たちを頼ってやって来る。父はすでに七十歳を超えていたので、自然と自分が中心に診るようになった。
町医者は、その家庭環境も含めて人間を診る。世間話も聞いてやる。そうしたなかで、その人にとって今何が一番問題なのか、その結果
自分で病気をつくってしまっていないかを、きちんと診るようになる。地域医療というのは、そうした人間の裏側というか背景にあるもの、さらに医者と患者の信頼が大事だということが、自分が生まれ育った地元の人たちと接してみて、よくわかった。それは、小さいころから父の姿を見て育ってきたからだと思っている。
その後、市内2つの病院で勤務医をし、平成元年、小島町に診療所を開いた。土・日は午前7時から正午まで開けるようにした。
ただ、この数年で医療は急速な進歩を遂げたので窮屈になってしまった、という思いは強い。少し難しい手術でもリスクを負わなければならない。医療の高度化・専門化の波は開業医にまで及び、ある程度のものは原因が特定でき、病状もはっきりと把握できる。医療そのものが特化されているから、病気に対する結論や治療法が単純化される。昔ながらのスタイルを取っている開業医にとっては、診察して結論づけ専門医へ回す、という作業が中心になる。こんな言い方をしてはどうかとは思うのだが、やりがいがなくなってしまった。「赤ひげ」が存在できにくい世の中になってしまった、ということだと思う。
社会が豊かになり、医療機器や技術が進歩し、さまざまな、特化した医療をしている診療所が有り余るほどある地域で、昔ながらのスタイルにこだわって開業している自分。気軽といえば気軽だが、ふきっさらしのような自由の気分を覚えることも結構ある。
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