いわき医療界の現状? 結局はマンパワーの問題。医者がいないんだから。医者の気質も変わってきている。かつては家族を顧みることもせずに「患者、患者」だった。しかしいまは、家族を大事にしている医者が多い。それはそれでいいことだとは思うけど…。
共立病院がめざしたもの、それは地域完結型の病院だった。どんな患者も困らないように、研究したり、医者を引っ張ってきたりして診療科目を増やし、対応していた。心臓外科、透析治療、心療内科、NICU(新生児集中治療室)、骨髄移植のための無菌室など、みんなそう。お金がある人でもない人でも平等に医療が受けられるように、という発想だったと思う。目の前にいる患者をどう救うか、が前提にあった。
病院内のさまざまな問題が噴出し、市当局の管理意識が強くなってきたころから、赤字を中心としたお金のことばかりが指摘されるようになった。病院も理解してもらうために、と議会の委員会などで直接説明していたこともあったが、いまは病院(現場サイド)と市当局との間には、大きな溝があるように見える。「お金、お金」というのは、時代ということなのだろうか。
いまでは、共立病院単体で地域完結するのではなく、地域全体の医療機関で完結型をめざさざるを得ない状況。そのためには開業医も積極的に休日夜間診療所などに参加し、相互協力体制をつくる必要がある。役割分担を明確にして、きちっと組織化しなければ、病院が持たない。
臨床研修医制度の概要を知ったとき、地域によって医師が不足することは目に見えていた。少なくても現場の医師の感覚では。この制度は中央の学者を中心とした机上プランだと思う。さらに、研修の仕方もなってない。実際の医療行為は少なく、お仕着せ感が強い。責任をとらせてはいけない、上の人について歩くだけ、しかも広く浅く…。これでは研修の体をなしていない。かつてのようにチームで新人をカバーしながらきちんと医療を勉強し、経験を積むことできる、真の研修でないと意味がない。
高邁(こうまい)なことを言うつもりはないが「医者は医者であれ」ということではないか。患者さんに何かあったときは診るのが医者。それは当然のことだ。エリートであるということは、どんな困難とも向き合う、ということ。「duty」、つまり職務を本分とする、という考え方を持たなければならないし、実践しなければならない。医療教育にどれだけのお金が投入されているのか、医師たちはそれを自覚すべきだろう。
いま心配なのは、医師不足で診療科目が制限され、患者を郡山の大きな病院に運ばざるを得ないケースが出ていること。それは地域完結型が崩れ、医療圏が広がっていることで、患者にとっては不幸だと思う。
「いまからでも、共立を全国屈指の病院に戻せないか?」。これだけ診療科目に虫食いが出てしまっては難しい。残念だけれども現状維持、守るだけで精一杯ではないか。あとは病院事業管理者がどんなことをするのか、注目したい。
「立場上」ということで再び「ある男性のつぶやき」ということになった。今回は医師である。言葉が熱く筋金入り。これまで培われてきた「ドクタースピリット」がビシビシと胸に響く。
それが自らの信念であり、自負なのだろう。生きざまが言葉になって出た。「医者は使命感を持たなければ。まず患者です」。そんな心の叫びが、医師としての誇りが伝わってきた。
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