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 救命救急センターをつくる際、日本医科大から医師を派遣してもらうのに苦労しました。聖マリアンナ医科大、昭和大など東京で救急救命をやっている大学にすべて行ったけれどだめでね。日本医科大も最初は剣もほろろでしたが、10回以上行ってやっと派遣が決まりました。
 病院長は院長室にじっとしていられない。薬のセールスマンのように足で稼いで医師を集める。教授から「一緒に飲みましょう」と誘われるぐらい懇意にならないと。東北大学にもだいぶ通 いました。だから大学病院の食堂はよく知っています。
 なんでこんなことをやらなくちゃならないのか、と思ったこともあります。でも医師が派遣されなくて困るのは市民です。整形外科の医師が派遣されなくて、わたしは昭和47年から3年間、共立病院の整形外科の患者を1人で診ていました。

 出身医局によって縄張りがあるから大変なんですよ医師は。例えば外科は、大学が違うと手術の方法が違うし、しきたりが違う。大学によって教育のテーマも違うから、違う大学の出身医師は何でそんなことにまで協力しなくちゃいけないんだ、ということになる。学会に行けば学問は1つなんだから、横断的にやればいいのに。
 優秀な医師なら出身医局はどこでもいい。もうそういう時代ではなくなってきています。優秀な医師には研修医も集まってきます。医師は目の前の患者さんだけ診ていてはいい医療ができません。勉強して日本のレベル、世界の流れを知らないと。医師不足のなかで医師は勉強ができず、悪循環になっています。

 いま言われている「一市一病院」は平成7年の市立病院将来構想計画策定会議で決定され、その年の市議会9月定例会で承認を得ています。しかし、10年経過しても何も進展していません。
 当時の四家市長に何度も提言しましたが「常磐の市民感情がどうのこうの」とおっしゃるばかりでした。共立病院と常磐病院の執行部の話し合いも2回持たれただけで立ち消えになりました。
 あのころ東京で病院長の講習会があって、医師の研修や保険点数の変更、医薬分業、病床数の削減などがいまのようになるようなことが言われていました。だから先を見ていかないとまずい。10年前にちゃんとしていれば、こんな状況にはならなかった。
 長期で戦略的にやっていくのは大変ですが、きちっとしたヴィジョンを持って、グランドデザインを描いて進めていかなければなりません。院長時代に配管や電気を含め建物を調査しましたが、早期の建て替えが必要なはずです。何かあったら大変。一朝一夕に病院はできません。5年、10年かかるはずです。
 背中に火がついているのに流ちょうなことは言っていられないと思い、この間、市が募っていた病院に対する意見を、わたしも書いてメールで送りました。

 共立病院は救急救命と不採算部門、それに高度先進医療の病院です。どうしたってお金がかかります。あまり経営を重視すると、市民の健康と生命、安心に影響してしまうのではないかと心配です。救命救急センターがあったから命が救われたという人が年間に少数います。急を要する、命にかかわることだから、これは外せません。それに先進医療ができれば最高ですが、それをどう考えていくか。
 わたしが市病院協議会会長をしていた時、救急の二次輪番病院に救急医療の協力をお願いしましたが、各病院ともスタッフが充分でないから難しいということでした。手術をした後、患者さんを受け入れてほしいと、1カ所ずつ病院にお願いに歩きましたが、受け入れてくれる病院はありませんでした。
 各病院ともおいしいところだけほしいのです。だから病病連携、病診連携と言ってもそんなにうまくはいきません。

 共立病院がつぶれたら市民が困ります。ほかの病院、診療所は患者を頼める病院がなくなります。また新しく病院をつくることは難しいと思います。何とか立て直さなければなりません。それには本音で話し合うことです。話し合うことがいっぱいあります。目先のことだけ追うのではなく、グランドデザインを描かなければなりません。命にかかわることなのです。







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