見知らぬまちへ出かけると、時間の許す限りそのまちを歩き回る。それも縦横無尽に、あみだくじをなぞるように。何だか面白そうなものがあれば立ち止まり、なかに入ってみたり、味見をしたり、土地の人と話をしたり、買い物をしたり、食事をしたり…。時には路地の奥まで入り込んで、行き止まりにぶつかることもあるし、思わぬ
宝物を見つけることもある。そうしながら、まちの肌ざわりやにおいを感じ、そのまちを知る。
いつから、そんな風に歩くようになったのかは覚えていない。北のまちでの学生時代にもそうしていたし、お城山が通
学路だった高校生のころもそう、子どもの足で3、40分かかったピアノのレッスンの帰り道でもだった。たぶんそういう性分で、一緒に旅行に出かけた友人と旅先でけんかになることもある。
歩くことを楽しむのは、日々、くらしているまちでもそう。よく知っているまちも歩くと何か発見があるし、ひしめくノンフィクションの物語を知ることができる。歩くときはアレグロの急ぎ足じゃなく、モデラートより遅いテンポ。そうしないと、見えているものも見えない。
さら地に何があったのかを思い起こす時など記憶のあいまいさを感じ、はっとすることがある。よく通っていた道なのに、思い出せない。まちのこと、そこに住む人々、そこでのできごとやつくられたものなど多くは、時間とともに忘れ去られ、消えてしまう。
まちを歩くことは物語のなかを歩くことでもある。ささやかな物語は大きな歴史のうねりになることもある。まちを歩きながら、いにしえといま、未来がつながっていることを感じる。だから、ゆっくりまちを歩く。
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