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 いわき市平字六間門在住の画家・峰丘さん(60)の画業40年展が22日まで、アートスペース・エリコーナで開かれている。「おれ、60になっちゃったよ。60歳って不思議な年齢だな」と苦笑いする峰さん。その作品の数々は死とエロスに彩 られ、眩いばかりの光を放ち続けている。峰さんの絵と人生を取材した。

 本名は緑川峯雄。海沿いの中之作で眼下に太平洋を眺めながら育った。夢は広がり、外国航路の船員をめざした。磐城高校に入ってからも、目標は東京商船大学一本やり。国立理系のクラスで夢実現のために勉強したが、受験に二度失敗して船員になることを断念。その試練が結果 的に「画家・峰丘」を生んだ。
 絵は好きだったし、自信もあった。挫折し、どん底に突き落とされて気づかされた、絵への熱い想い。土木関係など、さまざまなバイトをしながら学費を稼ぎ、すがりつくように神楽坂にあった春陽会研究所に通 い始めた。当時は画家で春陽会会員の岡鹿之助さんが教えていて、「批判されて泣くような人は絵描きになる」と言われた。
 メキシコへ渡ったのは1974年(昭和49年)で、「26歳の誕生日に」と決めた。もともと海外志向はあったが、今さらパリはいやだった。なぜかメキシコに惹かれた。メキシコ革命下に起こったメキシコ壁画運動(メキシコ・ルネサンス)の中心的役割を果 たしたシケイロスの影響を受けた。知り合いに紹介してもらってロサンゼルスからメキシコに入り、国立メキシコ自治大学造形学部に留学した。

 メキシコで暮らすようになって半年経ったころ、街を歩いていて突然、強盗にピストルを突きつけられたことがある。38口径の銃を頭に付けられ、あり金をすべて持っていかれた。「いい勉強をした」と思う。大学ではデッサン力などを認められ、助手になることを薦められたりもしたが、週2回程度、美術と日本語を教えて何とか食いつないだ。
 結局、メキシコには通算11年いた。いま思うと「色を求めて渡ったんだろう」と思う。メキシコの画家たちの作品は、なぜか重く沈んでいる。その意味を、メキシコ人女性を通 して知る。太陽光線が強いほど影は暗い。鮮やかな民族衣裳の裏に横たわる従属の歴史。一見底抜けに明るく見える人々の心の奥には、「自分たちは西洋人に犯されて生まれた」という負の部分があった。
 自分たちはどこから来てどこへ行くのか。自分とは何者なのか―。そこには生と死、ドライとウエットが混在していた。マヤ、アステカ文明とスペイン、フランスなどヨーロッパ文明が交ざり合い、メキシコ独自の混血文化が生まれた。人々の身近にある骸骨(カラベラ)、それは何なのか。死を身近に置くことで死を考える。それは生を考えることであり、生を楽しむこと。峰さんの体中をカラベラが走り、立ち上がってきた。

 「峰丘」とは親類に「流進」(ながれ・すすむ)という雅号を使っていた人がいて付けた。雅号を考えていたとき「峯雄か…」(みねおか…)というつぶやきがきっかけとなり、字数の良い字を当てて「峰丘」にした。そしてこの40年のうちに「緑川峯雄」は裏に回り、「峰丘」が表の顔になった。
 かつてめざした東京商船大学航海科。そこに進学した友だちによると、海運業は不況のまっただ中で立ち往生し、80人の同期のうち、卒業して船員になったのは、ほんのわずかだったという。「大学を落ちたことがよかったのか、悪かったのか」と思う。

 カラベラ、南国の花、スイカ、ピラミッド、深海魚…。そうした個性的なモチーフを赤やオレンジ、青、金などを使って激しく描く。この40年間に表現上の試行錯誤は繰り返されてきたが、寄って立つところ、ベースとなる哲学は変わっていない。それは死とエロティシズムだという。
 「ドキドキすること。それは素直な自分。ドキドキは裏切らないし、だまされない。海外に目を向け、身を置き、作家であり続けること。それが自分。安易な道を選ばず、いつも走っていた。美術は違うから面 白い。違うと尊敬されるし、解り合える。それが文化。これからは文化でまちおこしをしたい」
 峰さんの60代が始まった。



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