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 1971年(昭和46年)8月16日、阪神甲子園球場。7回裏のスコアボードには「1」が刻まれていた。磐城の田村が甲子園34イニング目に初めて許した失点。その直後から、スタンド全体を覆ったため息を静かに打ち消すように雨が降り出した。
 あれから35年がたつ。だというのに、あの試合のシーンの一つひとつが、鮮やかによみがえってくる。田村と先崎のピックオフプレー、舟木のセーフティバント、最後の打者・阿部の祈るような表情…。この同世代人たちは、白黒のブラウン管のなかで、淡々と自分たちがすべきことをこなしていた。それまでは、はるか彼方の出来事だと思っていた甲子園の決勝戦。その晴れ舞台で戦っているのが、同じいわきの高校生、というのも胸をときめかせる大きな理由だった。
 6月2日夜、決勝を戦った桐蔭学園と磐城のメンバーが、再会した。大塚が、土屋が、宗像が、松崎が、あの試合のことを語り合った。あのとき、グラウンドでわずか1時間49分という時間を共有しただけの関係。しかし時計はすぐ、35年前に逆戻りした。だれもが、田村や大塚の球種やボールの感じを覚えていた。そして松崎が言った。「こういうのを百年の知己、って言うんだろう」
 みんな、あの決勝を背負っている。「磐城は準優勝で良かったんだよ。磐城のことは覚えていても、おれたちのことを覚えている人は少ない。磐城、磐城だ」。土屋がちゃかした。そして、田村の話になると、自然と無口になった。磐城では阿部が、桐蔭では三谷が逝った。そして、今になってみて初めて、どちらも似ているチームだったことを知った。 「あれが原点だった。あそこからしか、高校野球を見ることができない」。だれもが口々にそういった。35年は早かったという。







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