GIFアニメ 日々の新聞
CONTENTS
日々の新聞
風の通る家
いわきクロニクル
オンブズマン
編集後記
招待席

田人お伽草紙
草野天平の頁
HIBINO IN IWAKI
時のゆくえ
仲間たちの野辺送り
蔡國強といわきの物語
DUO
オリジナルショップ
定期購読
リンク集
 

 6月6日、個展が開かれていたギャラリー界隈で、昼下がり、山口さんはまん中の大きなテーブルの椅子に腰かけて、訪れた人々の似顔絵を楽しそうに描いていた。「私にも1枚描いてください」。山口さんの前に男性が座った。
 中学生の時、美術を習った先生だった。山口さんは照れながら先生を描き「見せたくありませんね」と恥ずかしそうに笑って、似顔絵を描いた色紙を手渡した。先生は「ありがとう。大切にするよ」と、色紙を抱えて帰って行った。
■ 
 3歳の時だった。父が小学校の教員を辞め、一家で大連に渡った。6年ほど大連でくらし、普蘭店で終戦を迎えた。普蘭店は戦争をしているかどうかわからないほど静かなところだったが、ある日、中国人の暴動が起こって、一晩で荒らされた。
 父は招集されていなかった。私たち家族は家の裏の石が置いてあったすき間に逃げ込んで無事だった。しかし、いつロシアが攻めてくるかわからない。その前に学校から銃を借りて来て、みんなで死のうということになったが、止められ、貨物列車で大連に逃げた。
 無蓋で、ぎゅうぎゅう詰めの貨物列車。2時間の道のりが六時間かかった。着いた時には、背中合わせで乗っていたおばあさんが亡くなっていた。
 大連では闇市のようなところでパンやあめ、豆腐、たばこなどを売って、その日暮らしをした。終戦から1年7カ月後、帰国することができ、千葉にある母の実家の寺で1年ほど生活し、父の復員とともに内郷に戻ってきた。

 虫歯が多くて、よく歯医者通いをしていた子どもだった。歯医者には漫画の本がたくさん置いてあって、順番が来るまで読み耽った。自然に漫画を描き始め、小学5年生の時、「漫画少年」に投稿し、ストーリー漫画で特選に選ばれた。
 中学生の時は毎日新聞の中学生新聞、高校生になると地元のいわき民報に描いたり、福島民報や民友に投稿した。新聞部に所属して4コマ漫画を描いたり、イラストやカットも描いた。
 漫画家になることは小学1年生のころから思っていた。大陸で生活をしていたせいか、身一つでできるというか、「漫画家はペン一本で勝負できる。一番簡単じゃないか」と考えていた。
 家庭にそんな余裕もなかったが、高校を卒業する前に東京芸術大学芸術学科を受け、失敗した。それでも東京に出たくて、「まっぴら君」を描いていた加藤芳郎さんの自宅を訪ね、通いで書生をすることになった。ゴミを埋めたり、草むしりをしたが、1週間で「苦労してこい」と言われた。
 その後、新聞の割りつけの仕事をして、父の具合が悪くなったため、内郷の実家に戻り、父と同じ戸部炭鉱で測量などの仕事をした。新聞や雑誌への投稿は続け、漫画を描いては近くの郵便局に自転車を走らせた。ある日、特選の賞金を取りに郵便局に行ったら、拍手された。忘れられないエピソードだ。
 何とかもう1度、東京に出たかった。計画はあった。3年働いて仕事を辞めて、失業保険を半年間もらいながら、東京で漫画家になる道を探す。実行したけれど結局果たせず、銀座の広告を作っている会社に就職してチャンスを待った。広告会社には新聞社の人たちも出入りしていた。デイリースポーツで野球漫画を連載できることになった。

 24歳になっていた。デイリースポーツに4コマ漫画「Qさん」の連載を始め、プロとしてデビューした。
 デイリースポーツで連載を始めると、週刊誌からも連載の仕事が来た。原稿料は安かった。「これはムリムリ描かなければ」。徹夜が3日続くのがざらだった。あまりに疲れて顔に帯状疱疹、背中には脂肪の塊ができた。
 ある時、まだ6ページ残っているのに眠くなった。あまりに眠いので、自分で顔を6発たたいた。腫れた顔をハンカチで隠して病院に行って診てもらうと、あごが割れていた。手術するために下の歯を全部抜いた。ボクシングの練習をしていたことがあったので、当然と言えば当然だった。
 35歳のころだった。「山口さん、変な漫画を描いていましたよ」。そんな声が耳に入ってきた。時を同じくして、旺文社の中2時代の連載を始めた。それから、学研からも仕事は殺到し、大人の漫画から遠のいていった。次から次と舞い込む仕事に、「上に積み上げてください」と話し、依頼の山の一番下から仕上げていった。あこがれていた漫画集団にも加藤芳郎さんの推薦で入ることができた。

 いわきは35、6年、ご無沙汰だったが、同窓会をきっかけに久しぶりに帰ってきて、その後、高校の同級生で大黒屋の社長だった馬目佳彦さんに頼まれて、お正月の初売りには大黒屋で似顔絵を描いた。1日に50人ぐらい。何年続いただろう、勉強になった。最近は大連へも毎年のように行っている。
 いま、学研の学習雑誌に10年間連載していた「名探偵・荒馬宗介」を本にできないかと、考えている。



日々の新聞風の通 る家いわきクロニクルオンブズマン情報
編集後記田人お伽草紙草野天平の頁日比野克彦のページ
フラガールオリジナルショップ定期購読リンク集


 
ホームへ
画面上へ