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其の五 父母との別れ
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まだ明けやらぬとき、ようやく眠りに入った水無月、絣の上衣に黒き布を掛けて、土手に一人佇んでいる母がいた。周辺は田畑で囲まれ、緑の草原が広がっていた。
母ちゃん!
呼んでみた。
静かに、寂しげに、何も語らずに手を伸ばし、体に触れてみた。途端に母の体が揺れて、首が土手の下に転がり、落ちてゆく。
たまげた!!
夢中で首を掴み、母の体に戻しながら、どうしたの? なんだっぺ!と何度も何度も名を呼び続けた。両の手でしっかりと抱きよせ、捕まえて放さなかった。
振り返れば自分がいる。哀愁があり、母がいる。そして苦しみが見える。幼きころの幻の幸せが微笑む…。
自分の声で目が醒めた。その瞬間にわたしの両手が宙に輪をつくり、母を掴んだままの形で固くなっていた。二度と帰らぬ母が会いに来たのだと想い、心が熱くなった。
母ちゃん! ありがとう。安らかにお眠りください。
涙で顔が揺らいでいた。病むわが身を思い、涙遠かり。
平成16年6月の夜明け前、君枝さんはそんな夢をみた。5カ月ほど前に94歳で逝った母の夢だった。
朗らかで温厚で、働き者の母、瓜二つの母娘だった。君枝さんは4人姉弟の1番上。下に弟が3人いる。実家を継いだ一番上の弟夫婦が共働きしているため、母が90歳になったころから、お昼に君枝さんは、2キロ離れた実家の隠居の両親に昼食を届けていた。
黙々と老いたる父母に手作りの
おでん運ぶや郷愁のみちのり
振りむけば手を振りし居るいつまでも
母の姿が小さく見えた
君枝さんは病気がわかった時、両親にも隠さずに話した。年老いた両親は一言、「頑張れよ」と娘を励ました。母が亡くなったのはそれから5カ月後だった。一番上の弟の奥さんが温かく献身的に介護し、自宅で眠るように息を引き取った。
逝きし母幼き思い帰り来ぬ
今は遠き日忘れゆく世に
末期がんの宣告をされていた君枝さん。隣り合わせに死を感じながら生きることに執着し、治療を続けていた。でも母の死はいたって冷静に受け止めた。心の奥底に死への恐怖心があっただろう。それでも「死ぬ
ときは死ぬ。それまで一生懸命、生きる」と前向きだった
。
君枝さんには生きるための苦しみはあったが、苦しみと格闘する苦しみではなく、好転を信じて前進する苦しみだった。自分の体のことは自分が一番よくわかる。自身との葛藤、闘いはすべて内側に収めた。そのそばで登喜雄さんも、救ってあげたいけれど救えない、手を差し出したいけれど出せない、君枝さんが明るく振る舞っているから「大丈夫か」とも言えない、もどかしさ、やるせなさを感じ、自身のなかで苦悩していた。
後を追うように、母からちょうど1年後に父が96歳で他界した。同じように自宅での静かな最期だった。君枝さんは母の時には通
夜も葬儀も出席したが、父の通夜と葬儀は焼香だけして、自宅で1人静かに冥福を祈った。体はかなりつらくなっていた。周りに迷惑をかけてしまうかもしれないと、自らそうした。
父が逝く想い出残し黒煙り
一人旅立ち母の所に |
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