もう、どれくらいになるだろう。このところずっと、5、6年、閉塞感、虚無感の充満をいわきに感じている。「いわきばかりではない。時代がそうなんだ」と、言う人もいる。確かに時代、それに経済状況もあるだろう。しかしこのあきらめムード、口をつぐみ傍観している人々はそのせいだけではない。
時々、11年前にいわきを去った1人の医師を思い出す。患者を最優先に考えた診察や治療、手術をする医師だった。最良と思えば夜中にだって手術をし、昼に手術した患者がいれば夜中に様子を見に行った。
ある日、医師は内科に入院した患者の手術を頼まれた。手術を終え、その日は所属する科で経過を見ようとしたが、看護婦さんに「内科の患者だから内科でみるべき」と拒否された。仕方なく医局のソファで仮眠しながら、時折、内科まで患者を見に行った。ふと、医師は限界を感じた。
勤めていた病院を辞めることも、いわきを離れることも自分で決めたが、心底望んでのことではなかった。患者、病院、いわきに思いがあった。しかし、患者とまっすぐに向き合えば向き合うほど、身も心も組織の中で動きがとれなくなって、疎外感と寂しさだけが残り、いわきを去らざるを得なかった。
医師のようにいわきを離れないまでも、同じような思いをしている人たちが少なからずいる。持って行き場のない、やるせない思い。あきらめて、いま、沈黙を最善と考えている。見たくないものには目を背け、知りたくないことに耳を塞いだりもする。それでも奥底に思いを潜め、来たるべき時を待っている。
この閉塞感、虚無感を打ち破るには、沈黙し続けている人たちが口を開き、動き始めるしかない。他力でなく自力本願。思っている人が思っていることを少しずつ、その積み重ねがエネルギーになり、このいわきを揺り動かす。
今のいわきをどう思いますか? どうすればいいと考えますか? |