日々の新聞

432号
2021年2月28日

2011年3月29日 薄磯

あの日を背負って生きている

 3月11日で、あの震災から10年が経つ。もう10年なのか、まだ10年なのか、よくわからない。ただ一つ言えるのは、震災の前とあとでは何かがはっきりと変わった、ということだろう。それは、福島県いわき市で暮らしているから感じる皮膚感覚のようなものであり、取材もおしなべたものではなく、できる限り個を掬う努力をしてきた。そういう意味で、震災報道に終わりはない。
 
 2011年の3月29日。地震から18日が過ぎていた。まだ、放射線量が高かった。その日、久之浜、薄磯、豊間と津波被害の大きかった海岸線を巡った。ずいぶん瓦礫は片づけられていたが、目を覆いたくなるような風景が広がっていた。
 薄磯に着いたのは夕方だった。何人かが家を片づけ、流されてしまった家を見に来ていた。この地区では122人もの人が海に流されたり瓦礫の下敷きになって命を落とした。いまでも9人が見つかっていない。次の新聞が震災特集だというのに、話を聞けないしカメラも向けられない。一種のうしろめたさのようなものがまとわりついて離れず、撮ることができたのは瓦礫ばかりだった。結局、震災特集の1面は、瓦礫の中に置き去りにされたクマのプーさんのぬいぐるみになった。その体験が大きかったのだろう。区切りの日はできるだけ薄磯を訪ね、さまざまな人たちの話を聞くようになった。
 
 この2月19日から数日、いつものように薄磯を訪ねた。津波被害が激しかった海沿いには防潮堤が張り巡らされ、広い道路が走った。さらに波をガードするために防災緑地が整備され、山を削って高台に新しい町ができた。震災前の、狭い道路がクランクのようになっていた漁師町は姿を消し、新興住宅街のような町が広がっている。震災前は、277世帯・766人が暮らしていたという薄磯の人たちは散り散りになり、薄磯に家を建てたのは80人にも満たない。あとは災害復興住宅などで暮らしている。
 まちを歩き、坂本武一さん(77)、大谷慶一さん(72)などから話を聞いた。2人はかつて隣組だったが、いまは上と下に分かれて暮らしている。そして、あの日のことは記憶だけではなく体に刻み込まれ、それを背負って生きている。さまざまの人から話を聞けば聞くほど、現実の前では、言葉がいかに空虚であるかを実感させられる。震災で学んだ命への思いを紡いでいかなければならない。

 特集 あれから10年 薄磯をあるく