日々の新聞

418号
2020年7月31日

 

一つ書いて、二つ書いて、その間に何年かが過ぎてゆく

 本紙「ぼくの天文台」の執筆者で詩人の粥塚伯正さんが7月21日、急逝した。69歳だった。社会や組織と折り合いをつけて生きることが苦手だったから、世間からみたら不器用な人生に見えたかもしれない。しかし、年を重ねても一向に色褪せない少年の無垢なたましいが、穏やかで澄んだ言葉を紡いで詩を生み続けた。告別式では粥塚さんが好きだったジョン・レノンが「争いは終わるよ。君が望めばね。争いは終わるんだ」(ハッピークリスマス・戦争は終わった)と歌いかけていた。
 
 40年以上のつきあいになる。出会ったのは,飲み屋街のはずれにあった「可楽知(からくち)」という小さな店だった。居心地がよかったのだろう。粥塚さんはそこの常連で、毎日のように通っていた。お金はないけれども理屈だけは達者な若者たちが、たむろしていた。
 権威的でなく、差別も区別もしない。カウンターだけの薄汚れた店だったが、その存在をみんながとても大切にしていた。切り株でできた座り心地の悪い椅子がせいぜい8つ。酒が回り始めると議論やぼやきが始まり、殺風景だった店は団欒と喧噪に包まれた。立て付けの悪い引き戸を開けて席がいっぱいだと、「ひと廻りしてきます」が合言葉だった。粥塚さんは、ニヒルな用心棒気取りで、片隅でひっそり呑んでいた。
 「日々の新聞」を立ち上げた17年前、創刊準備号で街にちなんだ原稿を書いてもらうことにした。「現場に立ち、同じ時代を生きる人たちの声に耳を澄ます。そして地方の目で東京を見る」ことを編集方針としたので、いわきに留まって日常を詩にしている粥塚さんが、書き手としてふさわしいと思った。粥塚さんは「本籍地への巡礼」と題して、自分が生まれた「平字二町目37番地」周辺を歩いて思い出との邂逅を試み、叙情的な散文にまとめた。それをきっかけに、長期連載の「ぼくの天文台」が始まった。
 
 たましいも踏切で
 立ち止まるのかしら
 そのとき わたしは
 振り向きもせず
 たましいの手をとって
 こちらがわに
 渡してあげるのかしら
 そしてしだいに
 むこうがわへとふたり
 消えてゆくのかしら

 最後の詩集『婚姻』に収められている「踏切」という作品だ。このところ、生と死、あの世(異界)と現実の往来を感じさせるものが目立っていた。でもそれは決して宗教を意識したのではなく、70歳を前にしての、自然な感覚だったのだと思う。
 「人生の目標とは、自分のなかに刻まれるということだと思うんです。ぼくの場合それが、こつこつと書いてきた詩でした。これからは年齢で区切らずに詩で年をとって行きたいと思っています。一つ書いて、二つ書いて、その間に何年かが過ぎる。そんな感じです」(昨年9月のインタビュー)
 粥塚さんはこんな言葉を遺して、あの世に旅立ってしまった。

(安竜 昌弘)

 特集 佐藤安太ものがたり