| 紙面を読んで From Ombudsman | 561号 |

上野 太朗
第560号の1面は三浦芳治さんによる「くまのはなし」だった。関東は神奈川の街で暮らす僕にとって、福島県いわき市でのくまの目撃情報は、本来ならどこか遠い世界の出来事のはずだった。しかし記事を読み進めるうち、1つの言葉が静かに僕の心へと飛び込んできた。「(くまとニンゲン)互いの境界線がなくなってしまっているのです」
村上春樹の新しい小説『夏帆』を読んだ。そこにもまた「境界線」という象徴的な言葉が登場する。主人公の夏帆は、他者に傷つけられることを恐れ、自ら引いた境界線の内側に閉じこもって生きてきた。けれど彼女は、他者との関わりや、避けがたき試練を通じて、一筋縄ではいかないながらも、その境界線を、意を決して踏み越えていく。そして戦う。それによって初めて彼女は彼女の人生を生き始めるのだった(と僕は解釈している)。
人間関係における境界線は、時に自らの意志で「越える」ことで、精神のたしかな成長へとつながるのだろうと思う。
いっぽう、いわきの山の中で起きているクマの騒動はどうだろうか。ここで語られる境界線はニンゲンがみずからの都合によって勝手に引き、勝手に踏み荒らしたものとも言えそうだ。ヒトは、しばしば、自然をもコントロールできると過信してしまう。けれど自然との境界線は、ヒトが都合よく引き直していいものではなく、本来は「侵してはならない」聖域のはずだ。三浦さんが語る「相手の気配を侵さない」という言葉には、ヒトが勝手に決めたルールを超えた、自然への深い畏怖の念が滲んでいる(と僕は解釈している)。遠く離れた街のくまのニュースが、小説世界と重なり合い、僕の「世界の見方」を静かに揺さぶる。
「日々の新聞」は、単なる地域における事件簿ではない。僕のように遠くに暮らす読者にとっても、理屈では割り切れない現実を想像し、受け止めていくための「生きた物語」として確かな有用性を持って心に届いている。僕たち人間は誰もが、自分自身の物語を生きている。だからこそ、他者の、あるいは自然の営みに耳を傾け、その境界線を何かが起こる前に見つめ直すことが大切なのだ。
この新聞が開いてくれた新しい扉の向こう側を、僕はこれからも遠くから静かに、けれど目を逸らさず見つめ続ける。
(株式会社nino代表取締役)
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