| 紙面を読んで From Ombudsman | 558号 |

渡邊 千香
第552号「戦後80年 戦争と子どもたち」特集を読んでいて、浜松小源太の絵画「遺児すこやか」が目に留まった。富士山を思わせる雪をかぶった山頂を遠景に険しい山肌に幼児がいて、手には日の丸と日本刀を携えている。あどけないというよりも理性的な表情でじっとこちらを見ている。
この作品は昭和16年に描かれた。制作のきっかけは、小学校教員であった浜松の元教え子が、遺児となって靖国神社へ参拝するのを知ったことだそうだ。その後浜松は志願してミャンマーに渡り、昭和20年に行方不明となり戦死扱いとなった。不勉強で、彼のことは今回初めて知った。どこか現実離れした空気感を纏った絵画が、戦時中に描かれていたことも胸に響いた。
私の勤務先はいわき市勿来町にあり、すぐ近くには風船爆弾を放球する基地があった。昭和19年11月から昭和20年4月まで、ここからアメリカ合衆国に向けて風船爆弾が放たれていた。
風船爆弾とは、和紙をこんにゃくで作った糊で何層にも貼り合わせて10メートルの気球をつくり、水素を充てんさせて電気回路や焼夷弾、高度維持のための砂袋などを吊るした無人の兵器だ。ジェット気流に乗せて太平洋を越えてアメリカ本土へ向けて飛ばされた。
数年前の風船爆弾を扱った企画展では、この基地の建設に10代の頃関わった方、小学生の時に風船爆弾が飛んでいくのを見た方、女学生の時に学徒動員で神奈川県横須賀市の海軍工廠で働いていた方の証言を紹介した。当時のことを知る人が少なくなり、自分が体験したことを語っておきたいと貴重なお話をしてくださった。80代後半から90代の現在でも、当時の出来事を鮮明に憶えていて、克明に語ってくださった。
3名とも「自分たちのような思いをして欲しくない」「2度と戦争をしてはいけない」と繰り返し語られていたのが印象に残っている。戦争を体験していない私たちが今出来ることは、何があったのかを知り、これからを生きるより若い世代に、知り得たことを伝える努力をすることだと思っている。
(いわき市勿来関文学歴史館 学芸員)
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