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博物館のはなし | 561号 |
金沢文庫の特別展「いわきの古刹 長福寺と薬王寺」に行った時、主任学芸員の瀬谷貴之さんから説明を受けるなかで「隣の称名寺が真言律宗で、ここはその史料や美術品を保管・展示するとともに、鎌倉時代の研究機関なので、長福寺の本尊の像内納入物も預けていただいています。残念ですが、いわきには重要文化財を保管する施設がないので」と、聞いた。
それは長福寺の本尊の像内納入物だけではない。例えば、国指定の重要文化財になっていて、いわき市が所有する銅造阿弥陀如来及両脇侍立像は東京国立博物館に寄託している。いわきゆかりのものが、保管する場所がなくて、ほかへあちこち寄託・寄贈されているという。
いわき地域学會をつくった初代代表幹事の里見庫男さん(故人)は「いわき市博物館」づくりに熱い思いを持っていた。自身の著書によると、いわき市の博物館づくりの運動は昭和40年代前半から始まり、市の長期教育計画のなかに博物館と別館の石炭資料館の建設が盛り込まれた。
しかしその後、石炭化石館や美術館の開館など紆余曲折があり、博物館は昭和62年までにいわきニュータウンのいわき公園内に完成するはずだった。ところが造られたのは民俗的な暮らしの伝承郷だった。「遅くとも市制30周年(1996年)の記念事業として博物館を」と、里見さんは1986年に書いている。
いわき市はこの10月に市制60周年を迎える。里見さんが「遅くとも」と思っていた時から、さらに倍の年月が経つ。文化財や文書の散逸を防ぎ保管するという役割だけでなく、いわきという地域と暮らす人々の過去といま、未来を結びつけるためにも博物館は必要に思う。それはアイデンティティにもかかわってくる。 。
(章)
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