オンブズマン

 紙面を読んで From Ombudsman525 

 

画・松本 令子

 

 里見 脩

 日々の新聞は、故郷を離れて暮らす私にとって、故郷の銘菓(名菓)の如きものだ。手作りから生まれる上品な味わいを通し、遠い昔に存在した真に美味しい味を蘇らせ、同時に東京など大手の大量製造された菓子の不味さを証してくれる。
 情報社会の中、新聞というメディアは現在、存在意義を問われている。ジャーナリズムは「社会と言う公的空間に生じる問題について、自身の考えを社会に公表する行為」という定義で、その行為は識見、勇気、倫理の3つの要素で形成される。新聞が存在意義を問われているのは、活字離れやSNSの出現よりも前に、新聞がこの三要素を喪失しているために他ならない。
 ジャーナリズム(Jounalism)は、明治期に「言論」と翻訳された。「論を以て起つ」という意味だが、「言論」という日本語が死語と化していること自体、新聞の停滞を示している。明治期の記者は「五寸の筆を載せては自主独立、3尺の剣を引っ提げて横行す」と豪語した。萬朝報という新聞は「眼無王侯 手有斧鉞(眼に王侯なし 手に斧鉞あり)」―王侯の権威など無視し、斧と鉞を手に、権力と対峙する―という語を社是に掲げている。
 戊辰戦争の敗者の武士達は「剣」を「筆」に、「天誅」を「筆誅」に、「武士道」を「新聞道」に置き換え、藩閥政府に立ち向かった。古めかしいが、権力と距離を置き戦おうとする意気地には普遍的なジャーナリズムの精神が存在していた。即ち、こうした精神を現代の日本の新聞は喪失している。だが日々の新聞には荒々しくこそないが、3つの要素で形成された正統な「志」が存在する。それが美味さの源泉かと思う。

(大妻女子大学特別研究員)

 

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