オンブズマン

 紙面を読んで From Ombudsman522 

 

画・松本 令子

 

 石原 哲也

 第520号から521号の「斉藤とも子」さんのシリーズを興味深く読んでいる。彼女の子供の頃からの役者ぶりをテレビでずっと見ていた。記事のとおり、いつも可愛らしい優等生役であった。人生でも優等生役は一度やってしまうと、中々脱けられないものらしい。まして、自分では役を選べない役者となれば、もっと脱けられないものだと思う。その苦労というか、悩みというか、それは、優等生でなかった自分などにも十分想像できる。もう少し、次回も読んで見たいと期待している。

 さて、前回この欄で、言いたいことを我慢したので、続きを書いていいかと聞いたら編集者がしぶしぶ許可してくれたので、感謝しつつ書きます。前回、冒頭に、「日々の新聞を創刊からずっと読ませていただいている」と書いたのですが、本当は「日々の新聞を創刊からずっと読んでいる」と書きたかったのです。しかし、なんか最近の風潮からすると、「読ませていただいている」と書かないとエラそうに見えるのでないかと遠慮したのです。どうもおかしい。
 野球少年に「ポジションはどこなの」と聞くと、「はい、ショートをやらせていただいております」と来るのが最近の風潮だ。誰にやらせていただいているのかな。そういう言いかたをする少年を責めるつもりはまったくない。みんながそういう言い方をするから、そう言っているだけだ。風潮だ。
 テレビのレポーターが、畑を耕しているおじさんにちょっと遠くから声をかける。「何をされているんですかーっ」おじさんは答えない。だっておじさんは「なにもされてはいない」からだ。「何をしているんですかーっ」と普通に聞けば、「何って、畑耕しているんだっぺよ」と普通の返事がくるはずだ。失礼でもなんでもない。余計な敬語を使いすぎるからややこしくなる。 
 どうも最近、敬語が過多ではないのか。「路上に吸殻を平気で捨てていく方がいらっしゃいますねえ」とか、「この缶詰なら、どんなワンちゃんでも喜んで召し上がりますよ」とか、「私の自転車を盗んでいかれた方、是非早めに自首なさってください」とか、これ以上日本語を難しくしない方がいいと思う。これから日本語を学ぼうとする外国の方など、どれだけ苦労するか。想像に難くない。
 しかし、今のところだれも何も言わない。テレビ出演の方たちは、失礼だと思われないようにと気を使って益々無駄な敬語を使うことになるだろう。今日の渋谷は小雨です。傘をさされて家路を急がれる方たちが沢山いらっしゃいます。ハチ公の銅像も雨に濡れていらっしゃいます。最近耳が弱くなっているので、空耳ですかね。

(元劇団いわき青春座座長)

 

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