オンブズマン

 紙面を読んで From Ombudsman429号 

 

画・松本 令子

 吉田 勉子

 東日本大震災からもうすぐ10年になる。
「震災で何も予定がなくなったなら、何をしてもいいんでしょう。それなら出雲に行こう」。息子にそう言われ、震災から5日後の3月16日の午前零時、私は戦時中の逃避行のように、暗闇の中を車で走った。
 明け空に羽田空港に着き、義弟に車を託して朝の便に搭乗、午前10時には光眩しい田園に降り立った。何とも柔らかな別世界、息子の友人が手を挙げて出迎えてくれた。
 息子は以前、住んでいた出雲市平田町のホテルに私を降ろすと「10日分、頼んであるから楽しんで」と言って、友人宅に戻って行った。翌17日は一面の銀世界。通りで高校生が募金箱を持って、声かけをしている姿を目にし、初めて涙がこぼれた。
 雲州平田駅と松江を往復する1日券で、バタデン(一畑電車の愛称)に乗った。車窓からの宍道湖の優美さは言葉にならなかった。いわきの惨状が頭から離れず、心を鎮めたいと思った。出雲大社の宝物殿は奥深く、ゆっくり眺めていると、宮司さんが近づいてきた。私の状況説明に「ゆっくり心をお休めなさい」と言われ、その言葉に救われた。
 出雲路の風景は格別だった。足立美術館、石見銀山、県立美術館を廻って、5日目にお金が底をつき、いわきに帰ることにした。前払いした宿泊費の精算をフロントでしている息子を待つ間、ソファで新聞を広げると「住宅2年間無償、生活資金三十万円」の見出しが目に飛び込んできた。
 ホテルから役所は近く、行ってみた。休日で閑散としていたが、窓口は開いていて「どこがよいでしょう」と、地図を広げてくれたので、歩いて行ける所をお願いした。駅まで5分の素敵な住宅。ボランティアセンターにも案内され、布団と石油ストーブ、日用品、すべてが一瞬にして揃い、出雲路の旅暮らしに流れていった。それからは、いわきと出雲とで年に半分ずつ暮らしている。
「いわきにはユニークな新聞があるらしい。帰省したら送ってほしい」と、出雲の友人に頼まれ「日々の新聞」に違いないと社を訪ねた。大越さんとの再会になった。昔は随分、本を読んだが、今は月に2回の日々の新聞で十分に楽しめている。
「戸惑いと嘘」では地図帳で地名を探し、筆者の後を追いながら、赤土の大地を彷徨し、行き交う人を絵にしながら色付けしたり、時に「もりもりくん」になって夢をみたり、次の号までの時間をたっぷり愉しんでいる。

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