紙面を読んで From Ombudsman | 415号 |

藁谷 和子
新妻 和之
412号の「ストリートオルガン」と、411号の安竜昌弘さんの文章―アルベール・カミュの『ペスト』―を読んで、即座に蘇ってきた記憶がありました。それは神とカミュ、私にとっての「生と死」にまつわるものでした。
私が初めて死の恐怖に怯えたのは小学6年、松島への修学旅行から帰宅し、炬燵で横になったときのことでした。前触れもなく、自分が死んだらどうなるのだろう、自分がこの世から消えて無くなるとはどういうことなのだろうと、泣いて身悶えしたのを覚えています。
2度目は、中学2年の冬、冴えわたる満天の星空を見上げたとき、幾千年前の光を今見ているという不思議に絶句し、この宇宙で自分がいかにちっぽけな存在か、このちっぽけな自分の生と死にどれほどの意味があるのか、涙が止まらなくなったのを覚えています。
自分は異常ではないのか。しかし、話せる相手はなく、独り心に秘めて生きていました。
そうした中学・高校時代、富岡聖書バプテスト教会でエリザベス・パルマ先生から、また四倉キリスト福音教会で猪股俊平先生から聖書を学びました。
その一方で、高校時代、カミュの『異邦人』を読み、獄舎の中で確定された「そのとき」を待つ死刑囚と、「この世」という見えない牢獄の中で、やがて来るそのときを無自覚に待ち暮らす自分に、違いはないと思いました。
それからは『シーシュポスの神話』『ペスト』『転落・追放と王国』『カリギュラ・誤解』と読み進め、その不条理という捉えがたいものに親近感を覚えるのでした。
そして大学1年の秋、祖母が老衰のため亡くなりました。その晩、私が取り出して読んだのは聖書ではなく、「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない…」と始まるカミュの『異邦人』でした。
それには明確な意図がありました。平静さを保ちたかったからです。不条理をもって、死の恐怖に無関心を装おうとしたのでした。
一昨年末、長い介護生活を経て母が亡くなりました。生前、折に付け、私は母に人生について、人間について語りかけ、問いかけたものでした。求めたものは、母の知恵でした。母亡き後の喪失感のひとつがそれでした。
今となっては、それが夢であったのか現であったのか、定かではありませんが、ある日「これからは誰と語り合えばいいの?」と母に問いかけると、「神様と語り合えばいい」との母の声がしました。
ああ、そうか、神様と語り合えばいいのか。
以後、そうした生活を送り、平安とはこういうものなのだろうとの思いに至っています。
母の死に際して、カミュの『異邦人』を取り出さなかったのは正しかったと思います。
聖書では、幾度となく異邦人のことが語られます。異邦人とは虚無の象徴であって、それは人生のそこかしこで待ち受けています。福音か虚無か、その選択は個に帰する、ということなのでしょうか。
(いわき市郷ケ丘在住)
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