紙面を読んで From Ombudsman | 420号 |

藁谷 和子
岡部 兼芳
前回、私は「本紙は日々の中にある大切ななにかを、誰かに届けるため表現された断片の、コレクティブである」と記した。コレクティブというカタカナ文字に、唐突な印象を受けた方もいらしたのではないか。日本語では、集合的な、集団的な、共同の、といった訳が当てられるコレクティブ。耳馴染みのある「コレクション」と言わなかったのは、集められたモノとしてではなく「人が絶え間なく続けている日々の営み」を含意させたかったからである。
本紙419号では、古関裕而特集を興味深く読ませていただいた。2020年に予定されていた東京オリンピックが「復興五輪」として位置づけられたことで、朝ドラの主人公としてにわかに注目が高まった福島の作曲家、という浅はかな私のイメージは塗り替えられた。戦前・戦中・戦後と目まぐるしく移り変わる日々を、音楽とともに生きた、1人の人間、古関裕而の一部が、わたしの中に流れ込んでくるのを感じた。
8月8日放送の日曜美術館は、戦没画学生の遺作を集めた「無言館」(長野県上田市)の特集だった。出征前、ある画学生が最後に描いた肖像画。近年、モデルとなった女性がその絵に会いに来たという。女性が無言館のノートに残した文章が、館長の朗読で紹介されていた。
古関裕而の曲、本紙特集記事、画学生の描いた絵、女性の書いた文章、館長の声。それらが、私の中の、なにかに触れる。それは、決して遥か昔のことでも、遠いどこかのことでもなく、いまここ、私のことになる。そうして私たちは想いを重ね、遥かここまでやってきたのではないか。
(はじまりの美術館館長)
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