omb424号

 紙面を読んで From Ombudsman424号 

 

画・松本 令子

 藁谷 和子

 金澤 壮一

 本紙2008年1月31日の118号は山口研次先生へのインタビューを1面に載せ、各高校の進学についての考えを特集した新聞だった。昔の実績と現状との落差に歯がゆさを述べる学校がある一方で、今後の進学実績に自信をのぞかせる高校があり、時代の流れを感じさせられた。
 35年以上も前になるが、予定通りというか大学に落ちた私は卒講(高月講習会)に通い、そこで山口先生に2年間、数学を教わった(当時、1年しか通えない規則の卒講に、2年通わせてもらえたのはひそかな自慢です)。
 「朝刊に載った東大の入試問題を朝一番に持って行ったら、その場ですらすらと解いてみせた」など、数学の神様のエピソードは数知れない。いつも肘当てをして授業の合間に校舎周辺のごみ拾いをしている姿は用務員さんの様だったことや、授業の終了間際に問題を解き始めて次の授業時間にまで食い込み、授業にやって来た先生が困惑しているのを見てハラハラしたことなど、数学とは直接関係ないことばかりが思い出される。
 数学の成績はぱっとしないままだったが、授業中に山口先生が言った「ドカ貧よりじり貧。旧日本軍の様にやけっぱちになってドカーンヒーン(貧)となってはだめですよ。じりっじりっと後退しても諦めずに粘ることが大切です」という言葉は、口調とともに鮮明に覚えている。
 当時は「成績は上がらなくても諦めず、最後まで頑張るように」という程度の意味にしか考えてなかった。でもこの言葉が旧日本海軍大臣の米内光正によるもので、山口先生が中島飛行機で軍用機の設計をし、竹槍でB29を迎え撃とうとする浅はかさを嘲笑っていたことからも、実はずっと深い意味で言っていたのが、ようやく今になってわかる。たまに、仕事がうまくいかない時など思い出して、自分に言い聞かせている。
 上に立つ者が平気で嘘をつき、それを糊塗するためにその取り巻きや指示に従わなければならない者が改ざんを繰り返し、それをまた詭弁を弄してだまくらかそうとする、何とも息苦しい世の中。軽挙妄動を戒めていた山口先生と同様に、これからも日々の新聞には私たちに「考えるという作業を続けさせる」という役割を期待している。

(いわき市内郷在住)

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