紙面を読んで From Ombudsman | 426号 |
藁谷 和子
金澤 壮一
本紙2016年7月31日付の322号の1面記事には、アイリーン・美智子・スミスさんの「水俣と福島に共通する十の手口」が記されていた。ものごとは言葉で表現されることで初めて認識されるという。こういう手口は繰り返し行われてきたのだろうが、都合の悪いことには正面から向き合おうとしない昨今の政権に感じる底意地の悪さは、こういうことだったのだと腑に落ちてしまった。
新しい総理大臣になってから自助・共助・公助という言葉が話題に上っている。様々な意見を聞ききながら、なるほどと感心したり、あらためて社会の在り方を考えさせられたりしている。
自分のことは自分でせよ、と子どもの頃から親や先生から繰り返し言われ続けてきた。大人になればそれは当たり前のことだし、だれも他人のことはやってくれない。だから自助が第一というのはその通りなのだろうと思う。
その一方で、人を支援する仕事をしていることもあり、世間では当たり前のことと思われている、困った時に誰に・どうやって・何を相談するかということができない、相談しても伝わらない、という人たちが子どもから大人まで幅広く存在していることを日々感じている。地域共同体の支えを失った今の世の中、そういった人たちは直ちに自助優先とか自己責任を求められても適切な行動ができず、やがては初めから努力することを諦めてしまう。そして、それは次の世代に連鎖されていく。
頑張り続けるためには努力が何らかのいい結果に結びつくことが不可欠である。ものごとがうまくいく方法を知り成功体験を積み重ねて、大変だけど頑張れば何とかやっていけるかも、と思えるような支援や仕組みを作っていく。その前提のもとに自助や自己責任を求める社会があるのだと思う。政治に責を求めるだけでなく、私たち1人1人が自分の問題として考えていくことが必要だと思う。
前回、日々の新聞には私たちに考えることを続けさせるという役割を担い続けてください、と書いたが、すでに320号の1面でその必要性を説いていましたね。以前の記事を読み返しているが、いずれも古さを感じさせない記事ばかりだと気付く。つまり今もそれらの問題は解決されずに残っているということなのだろう。読むほどに奥深さを感じる新聞である。
(いわき市内郷在住)
そのほかの過去の記事はこちらで見られます。