紙面を読んで From Ombudsman | 431号 |
吉田 勉子
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす京
最後の「ん」の代わりに「京」が使われている江戸いろは歌留多。絵は滝平二郎、解説は加太こうじ。念の入った装丁で、しっかりした箱に収まっている。かれこれ40年、いつも通っていた円谷書店の小父さんが顔をくしゃくしゃにして奥から出てきた。良い本が入った時の顔だ。大事そうに箱を開けて「署名入りだよ」と、私の手にのせた。
今日、その歌留多を出してみた。冒頭の48文字で、人の世の移ろいをものの見事に歌にくみ上げた先人の知恵と、美意識に感嘆しながら絵札を並べると、今よりずっと貧しかったであろう江戸時代の人々の暮らしの中の涙と笑いが心に浮かぶ。
1語に1頁を割いている加太こうじの解説もなかなか深く「えっ、そうだったの」と、驚くことが多い。知ったつもりと、逆転の再発見に心が踊る。コロナ一色の報道や相次ぐ規制で疲れてきたら、このような時だからこそ日本語の優しさ、面白さ、美しさ、昔よく聞いた文句などを思い起こしてみるのも楽しい。
友人から「夏の終わりにそっと吹く風を、極楽の余り風と言うのよ」という便り。木守柿という言葉も好き。柿を収穫する時、すべてを取ってしまわないで、木の先端の実を少しだけ残しておく風習で、鳥におすそ分けするため、来年の豊作を祈るため、神(自然)に捧げるためのようだ。
昔からの諺に「貧すれば鈍する」という戒めもある。国会答弁を聞いていると、あまりの言葉の貧しさや誤用に心が伝わらず哀しくなる。金銭の貧しさではない。言葉、つまりは心の貧しさだ。嘘をつくためではなく、真実を伝えるために、溢れんばかりの語彙の豊富な日本語を取り戻して欲しい。
日本語について、日々の新聞の1月号で2回ににわたる吉田富三さんの記事は、丁寧で十分に人柄が伝わってきた。なかでも専門分野外なのに、日本語は漢字仮名交じり文が正則であると頑張って、漢字を減らすことにブレーキをかけてくれたことが嬉しかった。豊かな語彙を大切にしたい。
そのほかの過去の記事はこちらで見られます。