紙面を読んで From Ombudsman | 433号 |
吉田 勉子
「お父ちゃんを呼んできて」という母の声を待って、私は走り出す。目指すは角を2つ曲がった海盛座(四倉町にあった映画館)だ。大音響とモノクロの映像が流れる暗がりで父を見つけて「患者さんだよ」と言い、立ち上がった父の代わりに座る。
題名も筋もわからない映画を終わりまで見た。何でもありで、何でもよかった。喜怒哀楽、役者の表情やしぐさ、生き方、すっかり虜になって泣いたり、笑ったり。終わると、大人に挟まれてぞろぞろと外に出た。月がきれいだった。
無邪気に楽しんだ海盛座通いも15歳で終わり、無数の映像の中から明るいもの、美しいもの、立派なものや人にではなく、荒野をさまよう、何かを求めて放浪する人間像に憧れる厄介な15歳になっていた。
高校時代、平の映画館で「熱いトタン屋根の猫」を観た。私はエリザベス・テーラー扮するマギーの自己主張の歯切れのよさに衝撃を受け、見終わった時はすっかりマギーになって、フレアースカートをひらひらさせての歩き方になっていた。バスにも電車にも乗らず、暗い夜道を3時間家まで歩いた。玄関で父に怒られても、まだ別世界にいた。
学生時代、旅先で私はポール・ニューマンならず、ポール・ベルシオと出会った。知性と心の純粋さに惹かれ、お金はなくても愛があれば大丈夫、と決め込んだ。相性はよく、自分に正直に生きるという点でも一緒だった。
ポールと同郷のロバート・フロストの詩「The Road Not Taken」(未踏の道)を二人で読んだ。私なりに要約すると次のようになる。
黄葉の森で
道は二つに分かれた
曲がりくねり
低木に続いている道
草深く
人が踏んだ跡もまばらな道
旅人は
長い思案の果て
草深い道に分け入った
年老いて想うだろう
この時に人生の
すべてが決まったのだと
ポールと結婚して20年、愛があっても、いくら努力しても出来ないことがあった。悔しかったが、会者定離。今は、父親似の次男のジョンが、私のわがまま人生につきあってくれている。東日本大震災以来、出雲と四倉を半年ごとに往復しての二重生活を「気が済むまでいいよ」と言う。
10年の間に出雲にもよき友人ができ、地区のコミュニティセンターで紙芝居を作り、英語版ができて、ポルトガル版も計画中。地域の歴史研究会で勉強したり、チームで友人宅の畑の草取りや留守番兼かわいい三兄弟の子守りなど、楽しんでいる。
島根県が初めてという友人を案内したり、逆に福島県は初めての友人を案内したり、どこで暮らしても心躍ることが湧いてくるのが人生と思う。
先日、日々の新聞社で憧れの内山田康さん(人類学者で「戸惑いと嘘」の筆者)を紹介されて、舞い上がってしまった。その時、内山田さんが「行ってみなければわからない。やってみなければわからない」といわれたので、ビックリ。昔、親を散々困らせた私の口癖で、懐かしく「そうですよね」と言ってしまった。うれしい出会いに感謝します。
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