omb434号

 紙面を読んで From Ombudsman434号 

 

画・松本 令子

 小林 一

 地域づくりを生業とする身として、東日本大震災で一番悔しかったのは、地域で様々にユニークな試みにチャレンジしている人たちの事業が無くなってしまったこと、嬉しかったのは、震災から10年を経て復興を担っているのも、やはり彼・彼女たちだったことである。
 先ずは私が30年前にいわきにいた頃の同志、三浦光博さん。いわきテレワークセンター創業も彼の力なしでは出来なかった。震災直後から連絡を取り、節目節目で様子を確認してきた。昔田町で一緒に歌ったサザン好きは今も変わらず、朝日サリーの曽我泉美さんともども、バンド活動でいわきを盛り上げている。二人が中心になって立ち上げた震災孤児・遺児支援の「チャイルドハウスふくまる」は、素晴らしい活動である。
 いわきにいた頃、古代米(黒米、赤米)のプロモーションを行っていたユニークな米穀店・相馬屋の佐藤守利さんには、中国・紹興で有機農業の米作りや本物紹興酒づくりと取り組んでいる若き中国人起業家のご指導をいただいている。いったんは長野に事業所を移したものの、「どこでも同じ」といわきに戻り、全国レベルで米屋さんを展開している。
 地域は違うが、喜多方の大和川酒造の佐藤彌右衛門社長はいわきにいたころ、酒造りを体験させていただいた。今回の原発事故で奥会津まで放射能の汚染が及んだこと(これには私もびっくり)を契機に、持続可能なエネルギー自給を目指して会津電力を起業、飯舘村でも飯舘電力を立ち上げている。
 津波という点では広大な地域が跡形もなくなる大被害を受けた三陸地域では、盛岡にいたころ(2005年から3年間)、いろいろ勉強させていただいた日本のオーガニック食品のリーダーの一人、味噌づくりの河野商店の河野和義さんやその盟友で『森は海の恋人』を著したカキ養殖の畠山重篤さんが、ほぼゼロというかマイナスからの再生を成し遂げているのは、すごいことだと思う。
 大船渡で銘菓「かもめの玉子」を作っている齊藤賢治さんは大地震直後に大津波を予想、母上から教えられていた高台まで事務所員一同と避難した。そのときの映像を中心に、津波とその対処について語り部として活動を続けているのも、特筆ものである。
 こうして、語り尽くせないほど多くの地域に根を張った人たちが、各地で再生の担い手になっている。世代交代も進むなか、次の10年の被災地の本格的再生を願ってやまない。

(一般社団法人アジアサイエンスカフェ会長・川崎市在住)

 

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