omb439号

 紙面を読んで From Ombudsman439号 

 

画・松本 令子

 沼田 哲也

 このコラムは文字通り「紙面を読んで」の感想、またはそれに関連して話を展開するわけですが、次号が届いて初めて他のページの構成内容が分かるわけです。そうすると、私のコーナーだけが、ミョーに浮いているわけですよ。ま、初めから分かってはいたことなのですけれど…(笑)。
 普段から最新号が出ると、読んで感じたことをメールやfaxにしたためていたし、こんなことがありますよ、こんなこと取材してほしいです、などと勝手気ままに書いて送っていたから、それが私にお声が掛かった理由かなと思っています。
 よく会議で、「とんでもないおバカなことを発言する人がいると、それに刺激されて妙案が浮かんでくる」なんてことも聞きますが、そんな「効果」や「箸休め」的なものを狙っていたのかもしれません!?
 この1年の紙面は、震災10年とコロナに溢れています。ことの核心に迫るべく、じっくりと丁寧な取材を重ねた結果でしょう。決して取っつきやすい内容ばかりではありません。空いた時間に片手間に読むという代物でもないです。
 そのせいか、部数の伸びもキビシイと聞きました。手っ取り早く言えば、売れないわけです。それでも地域に根差した新聞として、残していく、伝えていくという使命感もあるはずです。記憶は薄れていくものですが、記録は残ります。しかしそれは、同時にジレンマも内包しているのではないでしょうか?
 芸術とジャーナリズムを一緒にするのはお門違いというものかもしれませんが、芸術にはお金がかかるから大衆に受ける物を製作して資金を得て、それを元手に売れ行きや評価など気にせず、本当に作りたい物を妥協せずに作るということは出来るでしょう。
 新聞にそれを求める人は、いないと思います。でも、「書きたい」企画と「読みたい」企画がイコールで結ばれるのは、簡単なことではありません。そこに営利面も勘案されると、なおのことだと思います。匙加減は悩ましいところではないでしょうか。私は、「読む」「語る」という行為で、今後も密かに応援していこうと思っています。
 
 余談です。高校生の息子が学校からの宿題で、「新聞を読んで」という課題を与えられたそうです。それを聞いた妻は「パパも新聞書いてるよ」(映画館に掲示してあるオリジナル新聞)とボケたら、「んなもん要らん」とバッサリ切り捨てられました(笑)。

(映画館オフィスマネージャー)

 

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