紙面を読んで From Ombudsman | 443号 |
嶋崎 剛
新型コロナのパンデミックは環境破壊によるものであり、環境破壊は新自由主義経済によるものである。
これを書いてる今、巷はコロナ陽性者の感染爆発とオリンピックの感動という相反するもので持ちきりで、福島の汚染水海洋放出問題は忘れ去られ、アンダーコントロールも復興五輪の言葉もいつの間にか消え、「安心安全」の念仏が呪文のようにループして神風が吹くのを家で待ち侘びる日々が続いているのである。もうすでに分断は始まっている。
「白水阿弥陀堂のハスが咲かない」。これもまた環境問題であり、これを復活させようとする労力は、大変なものがあるだろう。それが成功すればまたそれは美しいハスの池が戻り国宝としての力を取り戻す事ができ、さらにまた美しい観光資源のツールとして復活変貌するのである。ここにもまた2030年を見た時の分断がある。
ラトブでのエネルギー庁・奥田氏との意見交換会を取材した「海洋放出問題」は、その裏面にある田子氏の冒頭の言葉がまず皆の思う所ではないかと思った。「意見聴取とはいうものの、ここでいくら論じてもどの程度、聞く耳を持ってくれるのだろうか」
意見交換会の中では佐藤(和)氏の発言が問題の核心をついていたと思ったが、相手には響かない様子であった。意見交換会は今後もなくてはならないし、「日々の新聞」はじめ各メディアは、海洋放出ありきで設立された小委員会に対して原子力市民委員会が提示した有効な代替案を、繰り返し周知する事が必要に思える。そうしなければ諦めてしまった人には届かず、反対の声は大きくならない。自分も代替案を知らなかった1人なので、そう思うのである。代替案には「大型タンク」「モルタル固化」「〈敷地の足りなさ〉の嘘」などがある。
441号で最大の記事は、大越記者の書いた小さな記事であった。意見交換会で起きたひとつの勇気ある人のエピソードであるが、一見小さい事のように思われる事が、意見交換会の問題の本質を突いている事を想起させた鋭いものであった。こういう記事を書ける事が「日々の新聞」の最大の武器である。
(「備中屋本家斎菊」主宰)
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