紙面を読んで From Ombudsman | 446号 |
大河原 さき
9月15日号「海洋放出をどう思いますか⑥」で、野﨑哲さんと新妻竹彦さんが語っていることを何度も読み返したが、真意がつかめない。ここには語られない背景があり、逡巡があり、肩に重くのしかかるものがあるのではないかと思った。
2018年8月末に資源エネルギー庁ALPS小委員会の説明・公聴会が富岡、郡山、東京であり、郡山での意見公述人の1人になった。直前にタンクの中身はトリチウムだけではなく62核種(現在は63核種)が残留していることがスクープされ、事前に提出していた原稿を書き直す際、参考のために富岡での公聴会の録画を観ると、県漁連会長の野﨑さんが「福島の漁業者だけが判断するものではない。広く国民的な議論が必要だ」と発言したのを聞き、私が考えていたことと同じだと背中を押してもらったように感じた。
それまでは汚染水の問題は漁業者との関連で報道されることが多く、内陸部である中通りから発言することにためらいがあった。しかし海の放射能汚染は地球規模の環境問題であり、未来の世代にも大きな負荷を残すことになる。原発事故で核の被害に遭った私たちが黙ってこれを認めてしまえば、被害者でありながら加害者になってしまうと考え、ためらわず発言、行動するようになった。
政府は4月に海洋放出方針を決定した後、関係団体や自治体に意見聴取し8月には中間とりまとめを発表したが、すべてが風評被害対策に矮小化され、事業者に対する基金や賠償といった金での解決を図るものとなっている。去年8月の河北新報の記事で新妻さんは「そもそも海はみんなのもの。流すか、流さないかの判断を俺たち漁業者に迫り、責任を負わせるような構図はおかしい」と語っていたが、この対策ではまた政府による線引きと分断が起きる。
福島の漁業者に判断の責任を負わせて、孤立させるようなことがあってはならない。海の汚染はそこを生業の場所とする人たちばかりではなく、地球上に住むみんなの問題だから、漁業者ではない私たちも「関係者」として声を上げ、政府にその声を反映させる仕組みを作らせたい。
折しも間近に衆院選がある。汚染水海洋放出の是非を争点化させて、放出撤回の足掛かりにしたい。
(三春モニタリングポストの会)
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