omb456号

 紙面を読んで From Ombudsman456 

 

画・松本 令子

 

 玉手 匡子

 いわき市小名浜古湊の高台に、真言宗智山派の浄光院がある。平成9年の小名浜八景碑の建立を機とした久野真琴住職の強い思いが、歴史研究家の佐藤孝徳氏といわき歴史文化研究会代表の小野一雄氏を動かし、昨年夏に『小名浜浄光院誌』を完成させたことが449号で紹介された。
 佐藤氏と小野氏は高校の先輩・後輩であるが、その接点はなかったと聞いている。お二人の関係を深めたのは、ともに市の文化財保護審議会委員となったことで、以来、歴史家として、古文書研究家として、多くの文物の調査に尽くした。佐藤氏には『昔あったんだっち』『専称寺史』など、小野氏には『写真集 明治大正昭和 小名浜・江名・泉・渡辺』「飯野八幡宮と謡曲『飯野』」など多くの著作がある。
 浄光院は1868年(慶応4)の戊辰戦争で本堂と庫裏が類焼、ご本尊と過去帳のみが残った。かかる状況で寺史が欲しいという住職の宿望は至難の業であった。しかし、従来の型にはまらない寺史を作ればよいとの構想のもと、取り組んできた佐藤氏は不慮の事故で急逝する。相棒を失い1人残された小野氏の落胆ぶりは想像を絶するものだったろう。執筆の舞台裏には様々なドラマも展開して、完成まで約四半世紀もかかってしまった。小野氏は佐藤氏の草稿やメモを基に多くの方々に助けられ、『小名浜浄光院誌』(B5判、391頁)を完成させた。
 今回の完成を知って、佐藤氏は「小野君よ、1人で大変だったっぺ。紋切り型の寺史ではなく、全くユニークな寺誌ができたね。いがった、いがった」と、労いの言葉をかけたように思えるのは私ばかりではないだろう。
 ふと、こんな諺を思い出した。
 虎は死して皮を残し 人は死して名を遺す

(いわき市図書館アドバイザー)

 

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