紙面を読んで From Ombudsman | 458号 |
玉手 匡子
山口弥一郎特集(452、453号)はかなりの期間をかけて取り組んだだけに、年譜も簡略ではあるが詳しくまとめられている。後日、いろいろな点で役に立つと思われる。
地理学・民俗学研究者の山口氏は磐城高等女学校(現在の磐城桜が丘高校)に15年間、教員として勤務し、多くの生徒にふるさとの魅力を伝えた。
岩手に居を移され、本格的に明治三陸津波・昭和三陸津波を調査し、1人でも多くの命を救いたいと『津波と村』を出版した。その中で「被害を少しでも軽減するために、最新の注意を怠らぬように導いていくのがわれわれの仕事と信じている。そして優秀な指導者がいるということも大切だ」と、山口氏は述懐する。
いわき明星大学(現・医療創生大学)の図書館に在職中、東北大学を退官した玉懸博之名誉教授が人文学部教授として着任され、図書館長となって私の上司になられた。その折に田中舘秀三氏(日本の地質学者、昭和新山の命名者)について書かれた本を頂戴した。しかもその本の表題紙に「田中舘秀三は私の祖母の弟です」と書いてくださった。今回、山口氏が生涯を通じて柳田國男氏と田中舘秀三氏の2人を師と仰ぎ続けたことを知り、あまりの奇遇に驚いた。
東日本大震災後11年を迎えた現在、防災だけでなく環境にも配慮した防潮堤を望んだが、いわき地区は7.2メートルという高さで海が見えないほどのものが築かれた。地震後、津波は3、40分後に発生している。海の変化がわからず、防潮堤に上った途端に津波に襲われるということも考えられる。
「優秀な指導者はいつの世にも望まれる」と、言った山口氏の言葉をかみしめている。
(いわき市図書館アドバイザー)
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