紙面を読んで From Ombudsman | 468号 |
根本 敦子
2021年1月1日号(428号)の特集「にんげん 吉田富三」。富三氏の母・ナヲさんが、三坂村(現・三和町上三坂)の田子家の出身であることにご縁を感じ、定期購読するきっかけとなった。特に、浅川の吉田富三記念館名誉館長が、ナヲさんのことを語っていたことが強く印象に残っている。
浅川に来ると浅川の言葉で話す(当時はそんなに違いがあったのですね)、お金に困っている人、病気の人、戦争未亡人や子どもなどの村人を訪ねて励まし、風邪をひかないようい「おじょんこ」(袖なし綿入れはんてん)を作って配っていたというのだ。ナヲさんのお人柄もあるのだろうが、医学者の息子を応援するために大きな重責を感じておられたのかと思う。
富三氏は「病理学は死を納得する学問」、戦争などの「理不尽な死に怒りを覚える」と話していたという。富三氏を産んで育てた福島県、原発事故の現場となったこの地で、何が大切なのかを深く考える記事との出会いとなった。
私たちが運営する上三坂の旧石川医院(現・OJONCO館)にも、医師の家庭と村人との関係を垣間見る瞬間があった。百年の古民家にぎっしり詰め込まれた生活品の奥から、大量の古い巻物が出てきた。いずれも村人が持参した品々で、石川松樹先生(2代目・1891〜1972)が診療代の代わりに受け取っていたという。まだ書庫に古文書らしきものがほんの少しだけ残っているのでぼちぼち読んでみたいと思う。
また、三和町の女性たちに伝わる「おじょんこ」、そこから「OJONCO」とネーミングしたが、上三坂出身ナヲさんの時代を超えた活躍に、まるで我が事のように感動する自分がいた。だって、どんなに立派な取り組みでも女性が取り上げられることは、ほほないので。
ナヲの実家、田子家は興味深い。江戸時代は宿場町の名主・問屋、明治期には郵便局長を務めて現在に至る。田子家の土蔵に眠る古文書は、国学院大学院生OBで作る「田子家文書研究会」が2001年から整理を始めた。2017年に上三坂公民館で講演と展示会が開催され、この町の特徴をさらに深く知ることができた。上三坂は熱い!
(一般社団法人OJONCO 代表理事、東京都国立市在住)
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