omb469号

 紙面を読んで From Ombudsman469 

 

画・松本 令子

 

 栗城 英雄

 

 468号(8月31日号)が届き「『ならぬものはならぬ』という会津の精神風土」の一面が目に飛び込んできた。早速、テーマごとの特集を読み、さすが日々の新聞と思った。
 そこで会津生まれ・会津育ちの私が感じたことを記す。母校の行仁小学校の講堂には刀を携えた袴姿の少年の写真額が掲げられていた。ある男先生に「明治の初め、白虎隊の後輩が会津武士道のために『ならぬものはならぬ』と腹を切った立派な人です」と教えられ、初めて「ならぬものはならぬ」の言葉を知った。
 当時はよくわからなかったが、後日、漫画『会津士魂の道・郡長正物語』の発刊の辞に、高木厚保会津藩日新館館長が「郡先生は白虎隊精神を異邦の地で実践した会津武士である。(中略)会津藩の教え『ならぬことはならぬ』ことを、身を持って行動した郡先生の切腹を「責任感」をもつということに置き換えて読んでいただきたい」とあった。
 団塊の世代の我々が受けた戦後民主教育の中でも、会津でこの額ははずされなかった。この会津藩幼年者の「什の掟」(七カ条)は平成14年、会津の未来を担う青少年を育てるための「あいづっこ宣言」(六カ条)となり、最後は「やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです」と結んでいる。教育委員会にあいづっこ育成推進室があり、各小学校でその実践が行われ、毎年、成果発表がなされている。
 会津が生んだ伊東正義代議士が総理にと乞われた時、「表紙を変えても中身が変わらなければだめ」と蹴った、と伝わってきて「さすが会津っぽ、ならぬことはならぬものだ」と話題になった。今、政財界は何があっても責任をとらない。このあいづっこ宣言を学び直す必要があるのは、子どもではなく大人だと感じる毎日だ。
 私もこの計画には福島県と地元4首長に「やめてください」とハガキを出していた。「中央のギセイはもうゴメンだ!」と。

(会津若松市在住)

 

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