紙面を読んで From Ombudsman | 470号 |
根本 敦子
469号の1面見出し、「問題の核心は風評被害ではなく、食物連鎖による生物濃縮での内部被ばく」に目を惹かれた。今春、経済産業省が直接学校に送付した「原発処理水は安全」というチラシのことが、東京でも問題になった。「(処理水が)環境や生物を汚染するというのは事実と違うので、風評被害になってはいけない」という内容だった。ああ、ここでも「風評被害」という言葉が都合よく使われてしまっている、と思った。首都圏の消費者としては、一言でも言わないではいられない。
廃炉作業と汚染水の問題は、福島の漁民の皆さんと首都圏の消費者の利害関係だけで解決できるようなものではない。あれだけの住民が全国に海外に、広域の避難を余儀なくされて11年経つのだが、いまだに多くの方が戻れないで悔しい思いをしている。そして今でも、大きな地震が起き、大型台風が押し寄せるたびに「原発は大丈夫か」と不安にかられる。原発自体が不安定な状態のままである以上、認識の違いというレベルではない。
むしろ、この状態で安易に海洋放出すれば、被害を拡大、拡散させてしまうのが一番の問題だと思う。国際条約(ロンドン条約)や原子炉等規制法を実質的に形骸化させ、無責任な国際ルールを日本から、福島から発信することにもなってしまう。だから、「関係者の理解なしには、いかなる処分もしない」との約束を守るべきだ。そして、関係者とは「地球上の生き物すべてである」としてもらいたい。
さて、いわきで育った私にとって、海は特別なものだ。夏ごとに各海岸を巡り、家族と海水浴を楽しんできた。砂底も鮮明に見える遠浅の海岸、潜っては海水の塩辛さを味わい、仰向けに ぷかぷか浮きながら夏空を追いかけて、どこへ続くのかと想像したりした。あの心地良さと解放感は忘れられない。親元を離れてからも、帰省時には必ずいわきの海で泳いできた。
同号「磐城七浜捕鯨絵巻のはなし」で、そのいわきの海岸が、江戸時代に絵図になっていた。ぜひこの目で拝見したいものだ。いわきの海を巨体のクジラが悠々と泳ぎ回っている姿を想像しただけでも、楽しくなる。時に人間はクジラの肉と油をいただくという恩恵にあずかった。クジラと共存しながら、いわきは栄えたということだ。現代を生きる私たちはもっと、残された歴史と貴重な地域資源、身近な海に関心を向けたいものだ。それが、世界の人々の暮らしとも繋がっているのだから。
(一般社団法人OJONCO代表理事、東京都国立市在住)
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