紙面を読んで From Ombudsman | 471号 |
荒川 秀樹
10月に入り、秋も深まりました。秋の夕暮れに感じる人恋しさ、ふと湧き出る焦点の定まらないぼんやりとした哀しさはどこからくるのだろう、と思います。9月15日号の「仙台の街に流れていたミュージックサイレン」を読み、この感情がふと入り込んできました。人間が太古の昔に負ってしまった深い悲しみの傷が原始からの流れを遡り、静かに疼きます。仙台の街並みに流れる「荒城の月」のメロディが街の隅々に沁みていっただろうその情景は、そんな思いを呼び起こしました。
さて、ミュージック・サイレンなる言葉を初めて知りました。私が育った九州の山奥の炭鉱町には勿論デパートなどなく、それらしきものと言えば、日が暮れて子供達に帰宅を促す拡声器からの音楽でした。曲は、カラスと一緒に帰る「夕焼け小焼け」だったでしょうか。拡声器を取り付けた木の柱の上には時々フクロウがいて、日が落ちた柱上に黒い濃い影を残していたことを覚えています。それはそれとして山間の潤いのある音楽の風景でした。
さて、城下町の仙台に流れる「荒城の月」。子供の頃この曲を聞いて理解した気になっていたのが、ある日、歌詞をつぶさに読んで曲にある風景が見えた時の発見は、とても新鮮なものでした。人の世の盛衰を古城の姿に見た晩翠と廉太郎の悲歌は、およそ百年昔の明治34年に発表されたそうです。しかし二人の歌は歳月を貫き、人は今も「荒城の月」に想いを馳せます。月日は変われど、私たちは今日も太古から変わらない月の下にいて、晩翠、廉太郎と同じ月を見ています。
(劇団昴代表)
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