紙面を読んで From Ombudsman | 473号 |

荒川 秀樹
10月15日号のソール・ライター写真展のコラムを懐かしく読みました。私は記事中にある2017年に日本で初開催された写真展を見ています。ソール・ライター、どこか詩情を感じる写真家の名前にも惹かれ恰も″ジャケ買い”するようにして会場の人となりました。その時の写真展の印象は「淡々と日々を語り、声高な物言いを避けた色調の作品群」というもので、多くの写真と対峙しているうちに会場全体に包まれる心地よさを感じたことを覚えています。その中の一枚は額装して今も手元に置いてあり、時々その日の気持ちを思い起こしています
私の場合カメラは時々手にするくらいですが、絵画、彫刻などと同じように写真も然り、「時を留めたいと切望する人の果てしない思いの結晶」だと思っていますす。時を留める小さな利器、カメラは時の刹那を留め、その一瞬を写し出し今の中に写し出す。以前知り合った盲目のカメラマンは風景の前でカメラをセットし、そこに立ち体で感じるシャッターチャンスを待つという事で、時が来た合図で奥様がシャッターを押すということを聞き、写真は被写体に焦点に合わせるというよりその向こうにある、カメラマンの思いに絞りを合わせるということに思いが及びました。私がスマートフォンの写真を物足りなく思うのは 被写体のコピーのみで作者の思いの絞り込みがなされていないからのように思います。
10年前に写真展の会場に感じた包み込まれる心地よさの正体は一枚一枚の絵の向こうに見えるソールライターの″しあわせ”への想い。壊したくない幸せへの憧れ」に焦点があわされていたようにおもいます。あれから10年後、棘のないソールライターの写真群は今の時代に多くを語りかけてきます。
(劇団昴代表)
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