紙面を読んで From Ombudsman | 476号 |
植田 玲子
11月30日付のインタビュー記事「復興していくには哲学が必要」の稲垣久和さんは、12月中旬には東京に戻られるとの記述がありましたので、今はもう東京の人となられているでしょう。ふくしまの復興をテーマにボランティア活動を目指した7カ月間におよぶいわきでの生活を振り返って、「地方の良さ、人間らしさを感じました」と総括されていることをわが身に照らして、少し気恥ずかしさを感じました。
楢葉町の宝鏡寺境内の「原発悔恨・伝承の碑」に刻まれた原発建設を止めることができなかった「悔恨」に対して、稲垣さんは、中央と地方のアンバランスの中で消費者として享受のみに徹して何もできなかったことが自分の悔恨と言っています。一方、あの日まで「原発はそこにあるもの」と無意識に暮らしてきた私は、今さらですが「悔恨」を強く意識します。それは、将来の自分がきっと悔恨しているのではないかという予感からです。たった11年で原発推進に大きく舵を切ろうとしている現代の我々が、未来の人たちに胸を張ることができるのかと考えると、なんとも頼りがありません。
稲垣さんが復興のためのキーワードとして挙げたハイマート・ロス(Heimat los)は、言い得て妙でした。英語でいうところの「ホーム(home)」のドイツ語「ハイマート」には、「家」や「故郷」の意味の他に、「人間が根差す精神的な大地」という大きな意味があります。ハイマート・ロス、つまり現代人はそれを失ってしまっている状態。ドイツでは、人間が人間として大切なことを忘れてしまっているときに「ハイマート・ロス」と言うらしいです。
「復興」に向かって大切なのは、それぞれの役割の中でハイマートを堅持しつづけること。稲垣さんがいわきのくらしで感じたと言ってくれた「地方の良さ、人間らしさ」を、認識するところから、まず、始めよう。
(いわき市立美術館学芸員)
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