紙面を読んで From Ombudsman | 480号 |
野﨑 早苗
「日々の新聞」が特集記事で「長久保赤水」という人物を取り上げたことがあります。初めて聞く名前ですが、特集を読んで驚きました。江戸時代中期に伊能忠敬より先に「赤水図」という日本地図を編集し、吉田松陰もこの地図を持って東北を旅し、赤水の墓参もしたことなどが記事にありました。地図といえば伊能忠敬、と思っていた私には大きな驚きでした。その伊能忠敬も「赤水図を持って測量していた」と日記に残していたぐらい日本地図の編集に大きな功績を残していた人物。生まれは高萩市で、水戸藩では侍講も行ない、その見識が水戸の藩政にまで影響を及ぼした人物と紹介されています。
いわきとの縁は深く、長久保家の先祖は、戦国時代に小田原北条氏に攻められ、船で逃げて上陸したのが小名浜だったこと、28歳の時「閼伽井嶽の龍燈」を見たこと、さらに「赤水図」は、35歳の時、いわきのお寺での講義の時に思いたって完成させたものとのこと。
小名浜の観日亭というところでは「左氏春秋」を講義したことも書かれています。観日亭はどこにあったか残念ながら記録にはないようですが、近くにきたことがあるかもしれないと思うと長久保赤水がぐっと身近に感じられます。取材記事はもちろん、子孫の方のお話、夏井芳徳氏のお話、赤水顕彰会の会長さんのお話、どれも「知る楽しみ」を味わわせてもらいました。
「日々の新聞」はこの特集を組むにあたって、赤水のふるさとであり、晩年を過ごした高萩市に足を向けています。その地に立って「時間を戻す」と編集後記にありました。肖像画しか残されていないこの人物に思いをはせた、といったところでしょうか。
紙面には現在の高萩市の地図が載っていました。赤水の旧宅、お墓、生誕地、晩年を過ごした松月亭の碑が写真入りで示されています。地図の上のほうに目を移してみると、そこに祖母の生家が載っていました。またその子孫が経営しているレストランの名前もあります。祖母は私が幼いころ亡くなったことや様々な事情があったのでしょうか、親戚ではあっても疎遠になっています。母が、祖母の実家を「手綱」と呼んでいたことを久しぶりに思い出しました。高萩市を訪ねたことはないのですが、機会があれば行ってみたい、気になる場所になりました。
この特集がなかったら知り得なかった「赤水図」のこと、祖母の生家の現在、時や場所を超えてつながっていくもの、私には浪漫さえ感じられる特集記事でした。
(小名浜在住・主婦)
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