紙面を読んで From Ombudsman | 481号 |
佐藤 晟雄
477号から、いわきの海岸線を北(末続)から南(勿来)に向かって取材した記事が出ている。いわきの四倉に住む吉田勉子さん(絵のグループ「心画会」の会長)が「あの原発事故の後、張り巡らされた防波堤で四倉の海が消えた」と伝えてきたことがあるが、その汚染はいつになったら解決するのだろうか。勿来の海はどうなっているのだろう。勿来は遠い想い出の地だ。
学制改革で旧制の県立水戸中学校(水中。校是は慶喜の至誠一貫・堅忍力行)は新制の水戸第一高等学校になり、私が高校1年の時(昭和24年)がちょうど学校創立70周年に当たり、それを記念して「歩く会」が復活した。
その第1回(2回目も)が勿来から水戸城跡の高校までの73キロを、夜を徹して歩くという、文字通りの「歩く会」だった。精も根も尽き果てて学校に辿り着く友の肩には霜がとけ、朝日を浴びて光っていたのを思い出す。
当時、みんなが履いていたのは今のような立派な運動靴である訳ではない。私は兄が南方から引き揚げて来た時の軍靴を履いて意気揚々と出かけて行ったが、右足の魚の目の激痛で歩行できなくなり、途中棄権の憂き目にあった。その悔しさは棄権した者にしか解るまい。
学校に着いて、夜露に濡れた友の肩を抱き、感覚がなくなったような友の靴を脱がせ、一息継がせるのが役目のようになった。これが1回目だったか2回目だったかは記憶にない。青い勿来の海とは裏腹に、あの日のことが負い目になって、今でも心に暗くよみがえる。
(印刷学会出版部元編集長・柏市在住)
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