omb482号

 紙面を読んで From Ombudsman482 

 

画・松本 令子

 

 野﨑 早苗

 2018年ごろに上京した折、相手の都合がつかなくなり、思いがけなく時間が空いてしまったことがあります。駅で買った雑誌に載っていた高層ホテルのアフタヌーンティーでも楽しもう、と高い場所ならではの景色や飾ってある豪華な花を眺め、時を過ごしました。帰りの電車に乗る前に、上京していた主人と待ち合わせをして老舗といわれる居酒屋さんに足を伸ばしました。おつまみは「冷ややっこ」「枝豆」など素朴なものですが、掃除が行き届いた店内、一輪だけ飾ってある花。高層ホテルも素敵でしたが、その居酒屋さんの居心地の良さを感じた時「日本人サイズ」という言葉がふっと頭に浮かびました。
 その頃は「小名浜名店街」が「リスポ」に名前を変えて、それがなくなることを知った時期でした。跡地が何になるのか、入っていたお店はどうするのか、様々な憶測が飛び交っていました。本当のことが知りたいと思って「小名浜まちづくり市民会議」に参加させてもらいました。参加している人は小名浜が大好きでもっといい町にしたい、という共通の思いが程よい温度で感じられた集まりで、この会に参加することは当時の私の一番の楽しみでした。
 「小名浜ショッピングセンター」「小名浜名店街」は、東京に住んでいて多くのものに触れていたのに、家に帰る前にバスをひとつ乗り越してまで立ち寄った大好きな場所でした。何にあんなに心惹かれていたんだろう。「小名浜ショッピングセンター」「小名浜名店街」はそれまで町に点在していた個人商店が一か所に集まって作った地域資本型のショッピングセンターで、その成り立ち方が注目され、全国各地から視察に訪れる人も多くあったそうです。
 「小名浜名店街」の屋上に設置した飛行機の前で大勢の商店オーナーが、片手をあげているオープン当時の記念写真があります。日々の新聞第356号もその写真を載せています。そこに小名浜の人の町の在り方に対する心意気や志を感じることができます。当時を象徴的とらえた一枚だと思っています。ショッピングセンターの空間にもその気持ちがにじみでていて、そこに惹かれていたのかもしれない、という思いに至りました。通学時に乗っていた臨港鉄道などとともに「小名浜サイズ」と名付けているもののひとつです。
 時代の流れでなくなってしまうものは仕方のないこと思いますが、町のどこかに小名浜の心意気を感じられる小さくてもキラリと光るものが残ることを祈っています。

(小名浜在住・主婦)

 

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