omb483号

 紙面を読んで From Ombudsman483 

 

画・松本 令子

 

 菅野 洋人

 3月31日付の本紙に、新妻好正氏主宰で40年続いた企画制作集団の縄文魂がそろそろ終焉を迎えそうだ、という記事が掲載された。それだけ続けていたのだから、もはや縄文魂は新妻氏個人のものではなくなっているだろう。ここは、縄文魂は残しておいて、新妻さんにはとりあえずお休みをして次の展開を考えていただきたいと思う。
 縄文魂のイベントは、寺山修司周辺の人々がよく出演し、しばしば寺山を軸に展開してきた。学生時代、寺山の衣鉢を継いだ演劇実験室・万有引力に関わっていた私には気になることばかり。しかも、双葉郡富岡町に生まれた私にとって、会場となる平は身近な場所でもある。
 寺山修司は少年時代、青森の映画館で暮らしていた。そこでの彼の居場所はスクリーンの裏。当時の映画館では芝居が掛かることもあって、スクリーン裏のスペースはその際の楽屋にもなっていたのだ。時折やってくる旅芸人たちと共にスクリーンの裏にいた寺山少年に、映画はどう見えていたのか? 新妻氏はそれを縄文魂のイベントで実証したことがある。彼はスクリーンの裏から映画を上映したのだ。観客は当然左右反転した(つまり裏焼き)画面を観ることになる。
 映画を作った方の立場からいえば許されるものではないが、会場では寺山の弟、寺山偏陸さんもニコニコして観ていた。私は、面白そうだからまずはやってみて、そこで生まれたことについて考える、という新妻氏の行為それ自体をうらやましく思った。寺山修司が喜びそうな冒険心にあふれていたからである。

(郡山市立美術館館長)

 

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