紙面を読んで From Ombudsman | 485号 |
菅野 洋人
末盛千枝子さんの自伝は読んでいるが、4月30日号の本紙で、末盛さんの母親(彫刻家舟越保武の妻)の道子さんが、哲学者市川浩先生の影響で俳句作りを再開したことは初めて知った。
私は法政大学で矢内原伊作先生に実存哲学を学んでいた。大学院ではその市川浩先生のベルクソンのゼミにも参加していた(市川先生は明治大学教授だったが、法政大学の大学院でも教えていた)。矢内原・市川両先生のゼミ合宿では、矢内原先生には自身がモデルを務めたジャコメッティ、市川先生には寺山修司についてなど、夜更けまで話をするという至福の時を過ごしていた。自分はプラタナスの木陰でプラトンになったつもりで、ふたりのソクラテスから話を聞いていたのだ。
市川先生の著書『〈身〉の構造』は、身体論のバイブルとして知られている。実体としての身体を超えて、「私」であれば「私」が関係するすべてを内包する総体としての〈身〉についての論は、生と死を超えた人間の在りようにまで展開する。市川先生と出会って以来、私は実体のない「私」について考えるようになった。
例えば、コロナ禍で三密について語られる時は、人々がもつ他人との距離感が問題となる。それは相手との関係や住む地方によっても異なる(2m離れること、などの具体的な数字を国が示したのにはそんな理由もあるだろう)。これ以上近づかないで、という「私」がもつ他人との距離は、「私」の身体が拡大した(あるいは「私」の身体の延長としての)範囲を示す。その範囲が〈身〉のひとつのあらわれだと私は考えている。
そして〈身〉についての考えから私が私なりに導いたひとつの答えは、作品というものが主題や素材と格闘して生み出されるものである以上、それは作家の痕跡であり、ひとつの〈身〉のあらわれ、あるいは作家の分身である、ということ。これは私の作品解釈の基本になっている。
考えることは楽しい。「私」はどこまでが「私」なのだろうか、という問いは、〈身〉を通しての〈私さがし〉と〈世界さがし〉でもあるだろう。
(郡山市立美術館館長)
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